番組開始20周年を記念し、鉄道発祥の地を全6回にわたって紹介。
イギリス・アイルランド大縦断
番組開始からついに20周年。記念すべき今回は、鉄道発祥国・イギリスとケルト文化が息づくアイルランドを、番組初となる全6回の大型シリーズで巡ります。当地で蒸気機関車が発明されたのは1800年代初頭。それ以来の長い歴史を物語る各地の多彩な保存鉄道を訪ねつつ、美しい田園風景や世界遺産、産業革命を支えた街々の表情を紹介します。
番組開始20周年を記念し、鉄道発祥の地を全6回にわたって紹介。 イギリス・アイルランド大縦断番組開始からついに20周年。記念すべき今回は、鉄道発祥国・イギリスとケルト文化が息づくアイルランドを、番組初となる全6回の大型シリーズで巡ります。当地で蒸気機関車が発明されたのは1800年代初頭。それ以来の長い歴史を物語る各地の多彩な保存鉄道を訪ねつつ、美しい田園風景や世界遺産、産業革命を支えた街々の表情を紹介します。 [PART4]アイルランドにケルト文化を訪ねて ベルファスト〜ドロヘダ〜ダブリン〜リムリック 〜エニス〜コーク/コーブ〜ベルファスト 北アイルランドの中心都市国際列車エンタープライズ号ベルファストとダブリンを結ぶエンタープライズ号。ベルファストはイギリス領北アイルランドの首都、ダブリンはアイルランド共和国の首都なので、「国際列車」となります。ベルファストのセントラル駅からダブリンのコノリー駅までは、約2時間の旅です。 エンタープライズ号 ドロヘダ アイルランド人の心の故郷を臨む街セント・ローレンス門いかにも重厚な石造りの門は、13世紀に造られたもの。かつては街を囲んでいた城壁の一部だったそう。左右の円筒形の塔は物見櫓で、外敵が侵入に備えて見張りを立てていました。ちなみに名前は、セント・ローレンスに捧げられた修道院にちなんだもの。その修道院跡は街の西側にあり、同じように櫓が付いた、修道院らしからぬ城門風の建造物です。 セント・ローレンス門 ミルモント城塞丸い姿は古墳のようにも見えますが、元はノルマン人が12世紀に造った城塞です。19世紀の初めには、イギリス海軍がナポレオンの侵攻に備えた城塞「マーテルロータワー」の1つとなり、1922年のアイルランド内戦でも活用されました。重々しく威圧的な雰囲気は、何世紀にもわたって戦いの歴史を見てきたからこそ、醸し出されるのかもしれません。現在は内部が博物館になっています。 ミルモント城塞 ニューグレンジドロヘダから車で約30分。巨大墳墓群ニューグレンジは、世界遺産に登録されています。渦巻き模様が刻まれた巨石が有名ですが、どんな民族の墓か、なぜ渦巻きなのか、もちろん建造方法すらも分かっていません。石を積み重ねただけなのに、この5千年間1度も内部に雨水が染みていないのも不思議。冬至の日にだけ、太陽光が石室へまっすぐ届くのは、太陽神信仰に関係しているといわれています。 巨大古墳ニューグレンジ 古墳入口 渦巻き模様の巨石 タラの丘ケルト人は紀元前200年頃からアイルランドへ移住し、この地で選ばれし王を中心に繁栄を誇りました。今もタラはアイルランド人の聖地として心に刻まれ、世界中のアイルランド系移民にとって、地名のみならず民族の魂を表す言葉となっています。『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラも移民の娘。有名な「タラに帰ろう」と言う台詞には、その深い意味が込められているのだそうです。 タラの丘 王座があったといわれる立石 新石器時代の古墳 ダブリン 文化が薫るアイルランド共和国の首都トリニティー・カレッジ1592年にイギリスのエリザベス1世が創設した、歴史と伝統ある大学。オリバー・ゴールドスミスや、エドモント・バーク、作家のサミュエル・ベケットが卒業しています。必見は、ロング・ルームという図書館。65mに渡る書棚の列と、20万冊の古書に圧倒されることでしょう。ケルト模様の装飾が美しい『ケルズの書』などの重要文献や、ユーロ硬貨にもデザインされた最古のハープが収められています。 トリニティー・カレッジ ロングルーム ケルズの書 ギネス・ストアハウストリニティー・カレッジにあるアイルランド最古のハープは、ギネス・ビールのマークにもなっています。ダブリンにはその本社と醸造所があり、行列ができる人気スポット。ミュージアムで歴史や製造工程の展示を見た後は、最上階の展望フロアでギネスを1パイント試飲できます。泡にシャムロック(三つ葉のマーク)を描いてくれるのも嬉しいサービス。ダブリンの街を一望しながらグイッといきましょう。 ギネス・ストアハウス ギネス・ビールの試飲 オコンネル・ストリートリフィ川に架かるオコンネル橋をスタート地点とするメイン・ストリート。アイルランド解放運動の指導者・オコンネルの像、1916年のイースター蜂起の弾痕も生々しい中央郵便局、高さ120mもある光の尖塔などが見どころ。ダブリンが生んだ文豪であり、20世紀で最も重要な作家の1人と称されるジェームス・ジョイスの銅像にも、この通りで出会えます。 オコンネル・ストリート ダニエル・オコンネル像 中央郵便局 テンプル・バー地区ダブリンの今を感じたいならここ。リフィ川沿い500mほどの通りに、先端のカルチャーが集まっています。16世紀に土地を所有していたテンプル一族と、砂州を意味するBarが名前の由来。芸術文化の発信基地となるべく政府の肝入りで再開発され、ギャラリーや芸術学校、劇場、おしゃれな店が集中。洗練された雰囲気と活気にあふれ、伝統音楽の生演奏やアイルランド料理もよりいっそう楽しめるはず。 テンプル通り クライスト・チャーチ大聖堂アイルランド教会の、ダブリンおよびグレンダーロッホ教区の主教会。歴史は古く、1038年に北欧系デーン人が建てた木造教会にさかのぼります。現在の外観は1875年の改修によるものが大半ですが、中世最大級といわれる地下聖堂は、ほぼ12世紀の姿のまま。ジェームス2世の聖杯や燭台、英国国教会の祈祷書などが展示されています。 クライスト・チャーチ大聖堂 大聖堂内部 リムリック シャノン川河口に広がる共和国第3の都市ジョン王の城5つの塔と壁で仕切られた堅牢な城。リムリック城は眼下のトモンド橋を渡ってくる敵を監視するため、1210年に建てられました。イギリス史上最も評判の悪いジョン王。しかし守りの堅さを誇ったこの城に関してはわざわざ名前を冠して呼ばれており、王の面目躍如といったところでしょうか。20年ほど前に内部が改装されて、歴史資料や遺跡発掘の様子が見学できます。 ジョン王の城 未だ発掘中の地下部分 条約の石1691年にウィリアム3世がカトリック教徒に対し、信仰の自由と地位の保証を認めた「リムリック条約」。その記念碑となった石です。しかしイギリス議会は条約を認めず、カトリックを徹底的に取り締まる「パーネル法」を制定。さらには和睦を信じて武装解除していたリムリックに攻め込んだのです。かくして石は裏切りのシンボルとなり、後世まで伝えられることとなりました。 条約の石 セント・メアリー大聖堂マンスター地方の王が1172年に設立した教会で、リムリック最古の建物。西側の入口と回廊部分はロマネスク様式で12世紀の建築、内陣と礼拝堂はゴシック様式で15世紀のものです。墓地にはアイルランドの十字架、十字に円を組み合わせた「ハイクロス」の墓標が。これはケルト文化圏独特のもので、アメリカ東海岸などアイルランド系移民の多い地域でも見られるそうです。 セント・メアリー大聖堂 ハイクロスの墓標 ボンラッティ民芸村リムリックから車で20分ほどの郊外に、19世紀アイルランドの生活を再現した村があります。農民・漁夫・医者などさまざまな職業の民家、鍛冶屋、機織小屋、水車小屋などを見学しながら、当時の生活を追体験できるというものです。敷地内のボンラッティ城では、なんと中世の晩餐会まで再現。貴族や貴婦人になったつもりで、華麗な歌や踊り、豪華なディナーを楽しめます。 ボンラッティ民芸村 再現された学校 ボンラッティ城トモンド伯の砦だった城で、1425 年建造。毎夜、大広間で行われる晩餐会は、バグバイプの音色とミードという蜂蜜酒で幕を開けます。中世のメニューが供されるディナーは、カトラリーがなかった当時に倣い、手づかみで食すのがマナー。バトラー(執事)の粋なトークやハープの演奏も終始途切れず、ゲストを飽きさせません。食後は貴婦人の美しい合唱に酔いしれながら夜が更けていきます。 ボンラッティ城 バグパイプの音色でゲストをお出迎え 晩餐会 エニス 伝統のアイルランド音楽が息づく町オコンネル広場小さなエニスの町が、近年クローズアップされるようになったきっかけは音楽。伝統音楽の演奏会場がオープンしたことで、各国からファンが集まるようになりました。町の中心、オコンネル広場の近所にはアイルランド音楽専門店があり、日本にも情報発信しているそうです。夜はパブでグラスを傾けながら生演奏を。人気ミュージシャンのセッションは、立ち見が出るほど盛況です。 民族楽器店カスティーズ パブでのセッション コーク/コーブ 南部の主要な港町セント・アン教会シャンドン教会とも呼ばれる、コークのシンボル。建造は18世紀で、階段状の鐘楼と黒い時計が印象的です。37mある鐘楼は登ることもでき、希望すれば鐘を鳴らすことも可能。風見鶏ならぬ金色の風見鮭は、この地方の修道士が鮭の捕獲権を有していた印なのだとか。 セント・アン教会 バター取引所海上貿易で栄えた港町コーク。とりわけ、世界最大のバター市場として有名でした。1770年には取引所が造られ、ここで格付けされたバターが世界各地に輸出されていきました。第一次対戦後に閉鎖されるまで、ピーク時には輸出量が50万樽を超えたといいます。現在は建物の一部が、クラフト・センターやバター博物館として公開されています。 バター取引所 コーブ港コーブは大西洋航路の主要港として、波乱万丈の歴史をたどってきました。1840年代の大飢饉では、ここから250万人が新天地へ移民。第一次対戦中は、ドイツ軍に撃沈されたルシタニア号の遭難者が漂着。そして最も語り継がれているのは、タイタニック号の最終寄港地であったこと。コーブを出航して3日半後、大参事は起きました。街角にはそれぞれの記念碑が、静かにたたずんでいます。 タイタニック号記念碑 ルシタニア号慰霊碑 移民の歴史のシンボル、アニー・ムーア像 コーブ・ヘリテージ・センター世界各地へ多くの人々が移民していったアイルランドですが、その苦難の歴史を体系的にまとめた資料館がヘリテージ・センターです。あまりに劣悪な環境で多数が死亡したため、「棺桶船」と呼ばれた移民船。その様子を詳細に再現していたり、当時の写真資料や模型をふんだんに使った展示で、見るだけで大きな流れが分かるようになっています。 コーブ港の鉄道駅を模したカフェ タイタニック号建造中の写真
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