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レアル・マドリードの基礎知識

  • 世界が認めた20世紀最高のクラブ
  • 授けられた恩寵「レアル」の称号と王冠
  • 宿命づけられた勝利クラブを率いた名監督たち
  • ジダン、ベッカム、ラウル…“銀河系軍団の系譜”
  • 首都に築かれた砦サンチャゴ・ベルナベウ
  • マドリディスタの熱狂”
  • クラブに捧げた心男たちの名言集
  • レアル・マドリードリビア(豆知識)
    • 獲得タイトル
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20世紀最高のクラブ

レアル・マドリードの前身、“マドリード・フットボール・クラブ”がサッカーファンの手でスペインの首都マドリードに創設されたのは、まだスペインリーグが生まれる前、1902年のことだった。1929年から始まったリーガ・エスパニョーラでは初年度にタイトルを獲得、以来、史上最多となる勝ち点100を挙げて優勝した2011‐2012シーズンまで、トロフィーの数はスペイン内のクラブチーム最多となる32に上る。

国内ではスペイン国王杯を18回、スペイン・スーペルコパを9回獲得しているが、彼らの偉業は欧州でも目覚ましい。UEFAチャンピオンズリーグ(欧州チャンピオンズカップ時代含む)を制覇したのは、史上最多の9回(2位はACミランの7回)。その過半数は1956年から1960年までの5連覇によるものだが、近年では1998年に7度目の優勝を遂げると、2000年、2002年に再び欧州の頂点に立っている。

これらの功績を踏まえて、2000年12月にはFIFAとIFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)より20世紀最高のクラブの称号を授与されたが、ここ10年間の目標は常にデシマ(10度目のCL優勝)となっている。

「レアル」の称号と王冠

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“マドリード・フットボール・クラブ”の名の下で活動を続けていた彼らは、スペイン国王アルフォンソ13世から「レアル(『王室の』という意味)」の称号を1920年6月29日に拝領。それ以降、名称はレアル・マドリードとなり、クラブのエンブレムにブルボン家を象徴する王冠が加わった。なお、現在「レアル」の称号を持つクラブは他に9つある。

1936年から始まったスペイン内戦を機に権力を掴んだフランコ総統の独裁時代には、中央政府の恩寵を受けたクラブとして、激しい弾圧を受けたカタルーニャ地方から特に目の敵にされた。しかし、実際に当時21年間の国内獲得タイトル数を見ると、R・マドリードが3、バルセロナが9という意外な結果も出ている。

これらの歴史的な背景から、バルセロナとの熾烈なライバル意識は今でも健在で、両者が対決する伝統の一戦 クラシコは、世界中から注目を集める一大サッカーイベントとなっている。また、ホームタウンを共にするアトレティコ・マドリードとのマドリード・ダービーでは、両クラブのファンによってスペインの首都は二分される形となり、クラシコに匹敵する程の盛り上がりを見せる。

バルセロナの基礎知識

クラブを率いた名監督たち

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元来、監督の手腕により、世界中から集めた一流選手たちが活躍して勝つという伝統があるクラブのため、バルセロナのクライフのようにチームのプレースタイルの基盤を作った監督は存在しない。近年では1999年から4シーズン指揮を執ったビセンテ・デル・ボスケがリーガとCLに2度ずつ優勝を果たしたが、2003年には指導法が旧式だという理由からフロレンティーノ・ペレス会長に解任された。当人はその後、スペイン代表監督として比類ない実績を挙げている。

2010年に3冠を達成したインテルから引き抜かれたモウリーニョは、選手至上主義であったペレス会長がライバル・バルセロナの躍進にストップをかけるために選んだ最終兵器。就任1年目には17年ぶりに国王杯で優勝し、バルサの3冠を阻止すると共に、シーズン後にはゼネラルマネージャーのバルダーノ氏を退団させ、イングランド流に選手の人事権も掌握した。2年目には史上最多となる勝ち点100を獲得して優勝するが、「欧州の3大リーグで優勝したのは私だけ。これからは、“スペシャル・ワン”ではなく“オンリー・ワン”と呼ばれるべきだ」といった大口発言は相変わらず続いている。

銀河系軍団の系譜

創設以来、その時代の名選手を他のクラブから獲得することの多かったR・マドリードだが、近年では2000年にR・マドリード会長に就任したフロレンティーノ・ペレス氏がネームバリューの確立したスターを毎年1人、チームに迎える政策を実施。初年度にフィーゴを獲得したのを皮切りにジダン、ロナウド、ベッカムが入団する。世界的なスターが揃ったチームは“銀河系軍団”と呼ばれ、アジアツアーなどでクラブの知名度を大いに高めることになった。しかしこれが徐々にチーム内で攻守の不均衡を生み、2002年のCL、2003年のリーガ以来、ビッグタイトルから見放されて、ペレス会長も2006年には一度辞任。そして2009年に会長職に復帰した後、クリスティアーノ・ロナウド、カカー、そしてモウリーニョ監督とスターの獲得に再び乗り出し、2011‐12シーズンに宿敵バルセロナの3連覇を阻止してリーガ王者の座に返り咲いた。今シーズン、“新銀河系軍団”の真価が問われる。

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ディ・ステファノ(スペイン)
1953‐1964

R・マドリードがUEFAチャンピオンズカップ5連覇を達成した黄金時代のエース。彼がバルセロナではなくR・マドリードに彼が入団しことが、20世紀のクラブの命運を変えたと言われている。2008年に行われたクラブ公式サイトでの史上最高選手を選ぶ投票では、ジダンやラウールを抑えて1位になった。

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ラウール(スペイン)
1994‐2010

スター軍団と化したR・マドリードの中でも、下部組織生え抜きの主将、ラウールの輝きは決して損なわれなかった。前線でコンビを組むのはモリエンテス、ロナウド、ファン・ニステルローイと時代によって変わったものの、疲れ知らずの運動量と巧みにスペースを利用した鋭いゴール嗅覚でチームを牽引した。

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ロベルト・カルロス(ブラジル)
1996‐2007

銀河系軍団を語る時、決して忘れてはならない人材。R・マドリードで10年余り、不動のレギュラーを務め、左サイドからの果敢な攻撃でサイドバックの概念を一変させた。30歳を超えた時点でも持久力はチームトップ、百メートル走でも10秒台を誇った健脚の持ち主で、その強烈なFKと共に相手チームの脅威となった。

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ジダン(フランス)
2001‐2006

モナコでのUEFAのレセプションで会長がジダンに「R・マドリードでプレーしたいかい?」と書いた紙ナプキンを渡し、Yesの返事をもらった逸話はあまりに有名だ。ユベントスの司令塔だったジダンは入団当初、適応に苦労したものの、その優雅なプレーでファンを魅了。そのクライマックスとなったのは、2002年CL決勝レバークーゼン戦での決勝ゴールだった。

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ロナウド(ブラジル)
2002‐2007

フィーゴ、ジダンと続いたペレス会長の3人目の獲得スターは、その夏の日韓共催W杯優勝国ブラジルで得点王となったエースだった。2002-03シーズン開幕直前にインテルからの移籍が決まったロナウドは同年、3度目のFIFA最優秀選手賞を受賞。5年間の在籍期間中、「エル・フェノメノ(怪物)」と称された決定力の高さでファンの目を釘づけにした。

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ベッカム(イングランド)
2003‐2007

マンチェスター・U、イングランド代表でブレイクしたベッカムの獲得は銀河系軍団に最高の華を添えるはずだった。CMなどのメディア露出、アジアツアーなどでクラブの名声を世界中に広げることには大いに役立ったが、この時期チームが獲得したタイトルは意外と少なく、メジャーなものは最後の年となった2006-07シーズンのリーガ優勝のみに留まっている。

その他・・・

GK:カニサレス 1994-1998、イルクナー 1996-2001
DF:ホセ・アントニオ・カマーチョ 1974-1989、イエロ 1989-2003、カンナヴァーロ 2006-2009
MF:ビセンテ・デル・ボスケ 1970-1984、ホルヘ・バルダーノ 1984-1987、シュスター 1988-1990
ミカエル・ラウドルップ 1994-1996、レドンド 1994-2000、グティ 1995-2010
FW:レイモン・コパ 1956-1959、プスカシュ 1958-1967、ブトラゲーニョ 1984-1995、
ウーゴ・サンチェス 1985-1992、ミヤトヴィッチ 1996-1999、モリエンテス 1997-2004

全世界に散らばるマドリディスタ

ソシオ年会費

2007年のスペインにおける社会意識調査では国内の32.8%の人々がR・マドリードのファンであると明らかになったが、2006年にハーバード大学の行った調査によると世界中では2億2800万人と、その人気は国外でも根強いものがある。

2012年9月現在の公認のペーニャ(ファンクラブ)数は国内に2082件、国外では96件。また昨年、イギリスのサッカーサイトが行った調査によると、フェイスブックとツイッターのファン数が2281万人とされており、これはバルサの2511万人続く2位、3位はマンチェスター・ユナイテッドの1996万人となっている。

レアル・マドリードに心を捧げた男たちの名言

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グティ

「クラブに感謝している。24年間ここにいて、大事なものを手に入れることができた。それは世界一のクラブにいられたということや、選手として人間として成長できたということだ」

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ラウール

「僕の頭の中には決して降伏という言葉は存在しない。なぜならそれが僕にとってのレアル・マドリードだから」

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フロレンティーノ・ペレス会長

「結束からクラブの強さが生まれる。マドリディスモの夢を叶えるために、我々は尽力し、全力を注ぐ。レアル・マドリードは勝つために生まれたクラブ。そしてそれが、ファンの一番の願いである」

レアル・マドリード トリビア(豆知識)

・R・マドリードのホーム、サンチャゴ・ベルナウベウはマドリード観光でも外せないスポット。今年の1月から6月までにスタジアムツアーを利用した40万人で、出口となるオフィシャルショップでの買い物も楽しみの一つだ。

・ここ数年、一般公開練習が年2回ほどになってしまったR・マドリードだが、バルデベバスにある練習場に繋がる道沿いで選手の車を待つファンはあとを絶たず。アウェイ戦での宿泊ホテルで選手2人がファンサービスを行う慣例も変わっていない。


Photo:Getty Images

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キャプテンカシージャス

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レアル・マドリードの下部組織からキャリアをスタートさせ、10代にしてトップチームデビューを飾った。類まれな1対1の強さと的確な判断力を備え、「史上最高のGK」と称賛される。また、その人間性と人望の厚さからレアル・マドリードのキャプテンを務め、チームの顔としてファンからも絶対的な支持を獲得している。

エースクリスティアーノ・ロナウド

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2009年、マンUから移籍。入団発表には史上最多の8万人のファンが集まった。フィジカルの強さに加え、スピードを生かしたサイドからの切り込みが特徴で、右足からは強烈なシュートが放たれる。優れた得点感覚を備え、通産得点は4シーズン目の序盤にして120ゴールを超えている。クラブだけではなく、ポルトガル代表としても歴代2位となる37ゴールと、記録を更新中。

  • ◇FIFAバロンドール : 2008
  • ◇リーガ得点王 : 2010‐11
  • ◇UEFAチャンピオンズリーグ得点王 : 2007‐08

司令塔メスト・エジル

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2010年、ブレーメンから移籍。移籍当初はチームメイトとのコミュニケーション問題やモウリーニョ監督との確執が取沙汰されたが、FW陣を輝かせる攻守に渡る働きで、シーズン1年目には欧州最多となる26アシストを記録。2011年には背番号も23から10に変更。監督からの信頼も勝ち取り、世界的なビッグクラブの顔となる。

サンチャゴ・ベルナベウ

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R・マドリードの新しいホームとして、現在の場所にエスタディオ・チャマルティンが建設されたのは1924年。その後、スペイン内戦を経て、1947年にヌエボ・エスタディオ・チャマルティンとして再建され、1955年に当時の会長サンチャゴ・ベルナベウ氏にちなみ、名称が変更された。以降、改装を繰り返し、2007年にUEFAから5ツ星認定をもらった現在の収容人員は85、454人となっている。

【クラブ基本情報】
創設年:1902年
創設者:カルロス・ペドロス他
ホーム:サンチャゴ・ベルナベウ 85,454人収容
練習場:シウダー・レアル・マドリード
ペーニャ(ファンクラブ):2,178
合言葉:hala madrid“マドリー万歳!”

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