錦織圭プレーバック③(2013~16)全米準優勝、世界4位、リオ五輪銅メダル

2026.09.16

錦織圭プレーバック③(2013~16)
全米準優勝、世界4位、リオ五輪銅メダル

 13年の前半戦は好調。2月のUSナショナル室内(メンフィス)でツアー3勝目を上げると、5月にはムトゥア・マドリード・オープン(スペイン)で「目指して背を見てきた」ロジャー・フェデラー(スイス)に初めて勝つ。全仏は16強。ラファエル・ナダル(スペイン)を攻めきれず、「気持ちの面で粉砕されてしまった」と完敗した。6月には世界ランク11位をマーク、トップ10がいよいよ近づいた。

 ところが全米では不覚の1回戦負け。ほぼ1年間、トップ20を維持し、この年はトップ10入りを目指したが、目算は狂った。後半戦の不振にトップ10入りの重圧を指摘する識者もいた。年末、全仏優勝の実績を持つマイケル・チャンがコーチとして陣営に加わった。

 14年の最初のトピックはマドリードの準優勝。ナダルとの決勝では第3セット途中に棄権したが、腰に痛みが出るまでは赤土の王者を圧倒する場面も多かった。翌週のランキングで9位となり、日本男子初のトップ10入りを達成する。

 8月には全米で準優勝。四大大会決勝進出はアジア男子選手初。日本のスポーツ界における歴史的快挙となった。開幕直前に右足親指を手術し、直前まで迷ったが、チャンコーチの激励もあって出場に踏み切った。準決勝で当時1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)を破ったが、決勝でマリン・チリッチ(クロアチア)に敗れた。ミロシュ・ラオニッチ(カナダ)を撃破した4回戦での「勝てない相手ももういないと思う」の発言も話題になった。チャンコーチの影響もあってメンタル面が成長したことが飛躍の一因となった。

 ジャパンオープンでも2度目の優勝。連戦で体力的にギリギリの戦いを強いられ、「限界を超えた」と話した。11月には年間成績上位8人が出場するATPツアーファイナルズに初出場、ラウンドロビン(1次リーグ)を勝ち上がって準決勝に進出した。

 15年には四大大会や「マスターズ1000」の初タイトルが期待された。3月2日付けランキングでは自身最高の4位をマーク。バルセロナでは連覇を果たした。イタリア国際は準々決勝でジョコビッチに敗れたが、相手の守備を切り裂く場面も多く、前年の全米での対戦以降で最も勝利に近づいた試合の一つだ。

 全仏では初の8強入り。しかし、前年準優勝の全米で暗転する。1回戦でブノワ・ペール(フランス)にまさかの敗退。〈自分から相手を揺さぶってウィナーを取るという選択ができませんでした〉と敗因を自身でブログに記した。ATPファイナルズは1次リーグ敗退。トップ10を保ち、さらに上位をねらう1年だったが、様々な重圧にも苦しめられた。

 16年全豪はジョコビッチに敗れ、8強止まり。しかし、次のメンフィスで大会4連覇を果たす。決勝で若き日のテイラー・フリッツ(米国、当時18歳)を下した。リオデジャネイロ五輪では初めて五輪のメダル(銅)を手にした。準決勝でアンディ・マリー(英国)に敗れたが、3位決定戦でナダルに勝利。「メダルに懸ける思いがあった」と感慨にひたった。テニス競技では20年アントワープ大会の熊谷一弥以来96年ぶりの日本選手のメダル獲得だった。

 全米では2年ぶりに4強入りを果たした。準々決勝では、「プレーの参考にしている」とリスペクトしていたマリーを約4時間の激闘の末に破った。

#ありがとう錦織圭

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