「内田暁観戦記」内田暁さん特別寄稿

2026.10.07

錦織圭はニューカマーであり、希望。

台風の関東最接近の予報から一転、有明テニスの森上空には、抜けるような青空が広がっていた。

 ややチープな感傷だよなと自戒しつつも、やはり「錦織圭は持っている。天も彼に花道を用意してくれている」……そんな思いが頭をよぎらざるをえなかった。
 10月1日。木下グループジャパンオープン1回戦。錦織圭が、世界8位にして先の全米オープンベスト4の、フランシス・ティアフォーと対戦する。
どんな試合になるのか、どんな錦織圭が見られるのか?
勝利でも、そうでなくてもよい。ただただ、純粋にその場にいられることが嬉しかった。

 オンコートアナウンサーの呼び込みに続きコートに歩み入る錦織の相貌は、ほどよく緊張と闘志がブレンドされ精悍に見える。対するティアフォーの方が、表情が硬いようだった。伊達公子さんのコイントスに続いて行われる、両者並んでの記念撮影。錦織の青と、ティアフォーの赤いウェアのコントラストが、青い空に美しく映えた。

 試合は立ち上がりから、錦織の繊細かつ多彩なショットと、ティアフォーの硬質にして高質な強打の目まぐるしいラリー交換が続く。錦織が、早いタイミングのリターンから、さらにタイミングを早めたバックのダウンザラインでウイナーを奪う。美しい弧を描くフォアのストレートで、ティアフォーの逆をつく。ここ有明コロシアムでも幾度も相手を慄然とさせ、ファンの大歓声を呼び起こした、錦織圭がそこにいた。

 ただ……全盛期と重なるショットやコートを駆ける姿は、だからこそ、相違点をも浮き彫りにする。
 ラストショットは、20本を数えるバックの激しいストローク戦の末に、ティアフォーがドロップショットをネット際に沈めた。懸命に追う錦織は、柔らかく跳ねるボールに届かぬ事実を、うなだれながら受け止めた。
涙交じりの大歓声と拍手、ティアフォーからのハグ。それらを浴びてベンチに座る錦織は、タオルに顔をうずめて、肩を震わせていた。

「これ、修造さんのせいなんですけど。修造さんがむちゃくちゃ泣いてたんで、もらい泣きしました」
 試合後の、最後の『ポストマッチインタビュー』。錦織は、満員の会見室の奥に立つ松岡修造氏をまっすぐに見て、笑みを浮かべる。
「修造さんに育ててもらい、修造さんから自分のキャリアがスタートしたようなものなので。修造さんを見て涙が加速しました」
 自分でも予期しなかったという涙の理由を、彼は恩師に押し付けた。

 1990年代に世界46位に至った松岡氏が、後進を育てるべく立ち上げたのが『修造チャレンジ』。その卒業生の一人が錦織であり、世界への鳥羽口に立つきっかけとなったのは有名な話だろう。米国IMGアカデミーに渡った当初の錦織は、松岡氏のランキングを超えるとの意志を込め、『プロジェクト45』と呼ばれたという。
 己が打ち立てた記録を超え、未踏の地を切り開く錦織の姿を、松岡氏はメディア側の立場で世間に伝えてもいった。錦織の偉大さを語り、同時に子どもたちに夢を与え、後に続く者たちの出現をも望みながら。
 その成果は、24位の西岡良仁や36位に至った杉田祐一氏らを筆頭とした、複数の男子選手のトップ100入りに現れている。
 ただ2026年10月第1週の現在、日本人男子でトップ100選手はいない。また錦織の活躍により、世間が日本人選手に求めるハードルはとてつもなく上がりもした。
 テニスの魅力を『伝える者』としての責務と困難さを、松岡氏は次のように語った。
「錦織圭と同じくらいの選手が来ない限りは、注目されない。そういう土壌を作ったのも、錦織圭なんですね。僕の時代は、グランドスラム出て1回戦で勝つだけでも、すごいとなった。今は、(望月)慎太郎がウインブルドンでベスト16に入っても、ほとんどのメディアは飛びつかない。現実は本当に厳しいというのを、僕はすごく理解しています」

 でも……と、松岡氏は自らの言葉を継ぐ。テニスの魅力を世に伝える、その役割を担うのは誰か?
「ホープがやってまいりました。錦織圭ですね」

 そうだった。錦織圭のキャリアは終わったのではなく、新たなチャプターに突入したのだ。テニスを広く知ってもらうことで、興味を持ってもらう。ラケットを手に取ってもらう。選手を育てる。ファンに会場に足を運び応援してもらう。
そのような『普及や育成』の世界において、錦織圭はニューカマーであり、希望なのだ。

抜けるような青空の下、コートを去る錦織は「まだ負けず嫌いが消えてない。それが知れて、良かった」と言った。
コートに残してきた、悔しさ。それは続きの物語への、布石にして道しるべだ。

#ありがとう錦織圭

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