
やきもきしながら観劇した錦織劇場
強いな。これが錦織圭の第一印象だった。当時14歳。うまいな、いい選手だなと思わせるジュニア選手はたくさん見たが、この細身の少年は「強い」と思わせた。
2004年9月、錦織はスペイン・バルセロナで開催された16歳以下の国別対抗戦「ジュニア・デビスカップ」に日本代表として出場した。日本は11位に終わったが、大会中盤に錦織がとてつもない試合を見せてくれた。
優勝候補スペインのペレ・リバとの対戦だった。チームには、のちにプロでトップ10に上りつめるロベルト・バウティスタもいたが、当時は3番手で、リバがエースだ。試合開始から2時間が経過し、最終セットに入った。錦織は相手のサービスゲームを2度ブレークしたが、ともにブレークバックを許した。
チェンジエンドでベンチに戻った錦織は、精根尽き果てたような姿だった。しばらく前から、ベンチに座ると頭からタオルをかぶり、隣の村上武資監督と言葉を交わさなくなった。だが、主審の「タイム」のコールがかかると生き返る。汗を飛び散らせてボールを追い、力を込めてたたいた。14歳は、柔和な素顔に似合わぬ荒々しさをコートに振りまいた。
迎えたマッチポイント。錦織の鋭角に打ったパスがきれいに抜けた。当時、最終セットはタイブレーク制を採用せず、スコアは9-7。試合開始から3時間40分が経っていた。
村上監督は後年、「(ベンチで)言うべきことなんて何もないと思っていました」と明かした。戦術も精神面も14歳に任せ、口を出さないことが最善という判断だった。
錦織は男子の出場選手で最年少だった。その意識はあったかと本人に聞くと、少し間があって、こんな言葉が返ってきた。
「(年下でも)勝っていかなくてはいけないので……」
年齢は我々が気にすればいいことで、彼はそれより勝つことが大事と知っていた。いい試合だった、次勝てばいい、負けたけれど将来が楽しみというような、なぐさめも本人には意味がない。勝利を重ねることが生き残る道と彼は分かっていた。ジュニアにとって結果がすべてはないが、決して無視はできない、大事なものだ。選手は勝たなくてはいけない。私は14歳に、それを教えてもらった。
別の面に驚かされたのは、2005年の全米オープンジュニア(18歳以下)でのこと。錦織はラッキールーザーとして本戦入りし、3回戦でのちのトッププロ、ジェレミー・シャルディ(フランス)に敗れた。15歳の錦織が見せたのは、展開力と意表をつくショット選択だった。
ジュニア選手のラリーは力比べの打ち合いに終始することも多いが、錦織は緩急を使った。なんでもないように見えるクロスが相手のミスを誘う。球速の変化、弾道の変化とプレースメントに相手は幻惑された。
確か2回戦だったか、こんな光景があった。相手を左右に振って、オープンコートにウィナー--であれば普通のプレーだが、錦織は最後の決め球を狭い方のエリアに打った。完全に逆をつかれた相手は立ち往生し、自分の体から1メートルほどの所を通過するボールを見送るしかなかった。
シャルディのような大男の中で15歳の錦織は幼く見えた。だが、パワーで劣るのを補おうと、あの手この手を繰り出した。幼い錦織を指導した故柏井正樹(松江市・グリーンテニススクール)さんは、相手の裏をかくプレー、だますプレーには「ナイス卑怯!」と妙な褒め方をしたという。
昨年の取材で幼少時を振り返ってもらう機会があったが、錦織は相手との駆け引きを、大好きなゲームと重ねて、こう話した。
「この相手、このモンスターに勝つにはどう戦ったらいいかっていうのを、一つの道だけではなく、2、3個、どうやったらいいか考えたりするのは好きでした」
体格の不利を補い、攻撃性を高めるために、より早いタイミング、高い打点で打とうと、フォアでもバックハンドでもジャンプしながらのショットを見せた。宇宙遊泳のようなフォームには「エアK」の名が付いた。
どのプレーも、勝つための選択だ。ただ、本人は必死でも、どこかに遊び心がなければ、こうしたプレーは生まれない。相手を翻弄するプレー、だますプレーは見ていて楽しい。真剣勝負で本人に楽しむ気持ちがあったかといえば、そうとは言い切れまい。しかし、そのプレーはテニスの楽しさを体現していた。
四大大会本戦で戦うようになると、別の強さも見せた。まず、2010年全米2回戦を取り上げたい。相手は当時、世界ランキング13位のマリン・チリッチ(クロアチア)。4年後には同じ全米でカップを懸けて決勝を戦う相手だ。好敵手との2回戦で、錦織は4時間59分の死闘を制した。
最高気温34度。湿度も高く、コート脇で見ていた私は、ペットボトルの水を補充するために何度も席を立った。選手の消耗はその比ではない。途中、チリッチは足にケイレンを起こし、錦織は左足のつけ根を痛め、それぞれメディカルタイムアウトをとった。
1-2からの第4セットには「このセットを取っても、もう1セットやらなくてはいけない。体はついてくるか」と不安がきざした。それでもギアを上げ、尻上がりのプレーで第4、第5セットを連取する。
第5セットはチリッチの足が止まった。錦織の動きは開始当初と変わらない。実は錦織もこの試合で左足つけ根と内転筋を負傷、次の3回戦を途中棄権するのだが、集中力が上がると痛みも損得勘定も忘れてしまうのだ。
「勝ったことよりも、5セット戦い終えた充実感がある」と錦織。フィジカルと精神力が試された試合だ。身長差20cm、198cmの巨漢を体力で上回った。限界が近づく体を意志の力で動かした。その姿を当時の私は、やや安易かとも思いながら、「怪物」と書いた。
遊び心という特徴がピンチを迎えた時期もある。2010年のシーズンオフにブラッド・ギルバートをコーチに迎えた。80年代のアメリカを代表する選手の一人で、現役時代からコーチとしてアンドレ・アガシを指導したことでも知られる。著書の『ウイニング・アグリー』(醜く勝つ)が示すように、格好良さより勝ちにこだわる指導理論の持ち主だ。
ギルバートは錦織に堅実さを植え付けようとした。選手の成長過程では、確実なプレーを選び、勝てる試合を確実に拾っていくことも必要だ。錦織のテニスにはアクロバティックな要素も見られ、意外性も特徴だが、コーチは見せるテニスを卒業し、大人のテニスに脱皮させようとした。
錦織はそれを消化するのに苦労した。2011年の最初の四大大会、全豪は3回戦で第9シードのフェルナンド・ベルダスコ(スペイン)に完敗。相手の試合運びもうまかったが、錦織のテニスはおとなしすぎた。新しいスタイルは、なじんでいなかった。
案の定というべきか、錦織は敗戦のあと、「今のテニスでは通じない。攻撃的にもやっていきたいし、変えていきたい。今の課題は安定だが、攻めないと勝てないので、その判断力をつけたい」と話した。私は大会のあと、雑誌『Number』にこう書いた。
〈借り物ではない、自分なりの堅実なテニスを築かなくてはいけないことを、彼は今、痛感しているはずだ〉〈今までの錦織も、勝つために最善を尽くしていたはずだ。勝ちたいという思いがあの奔放なテニスに結晶したのだ。そう考えれば、魅せるテニスは勝つテニスと矛盾しないのではないか〉
ギルバートとの関係は、外から見る限りでは自然消滅のような形で終わった。この年は全体としては模索のシーズンだったが、終盤に大きな成果を得る。1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)を初めて破ったのだ。
もっと攻めたいが、確実に勝つために気持ちにブレーキをかける。シーズン半ばまではそんな葛藤があった。だが、最終的には、ギルバートの教えもうまく取り込んだ。リスクを負って攻めるのではなく、相手にリスクを負わせる。そうして、冷静に相手を追いつめる。さらに、機を見て攻撃的なテニスに切り替える。ジョコビッチ戦では、そんな彼なりの堅実さを披露した。本人へのインタビューでは、こんな言葉が聞かれた。
「トップ4の選手とやらない限り、今の自分のテニスはそんなには変えないつもりです。無理しなくても勝てるという自信がついてきているので」
奔放さや意外性という、もともと持っている長所を、堅実さとうまく折り合いを付けた。ギルバートとの関係は成功しなかったが、その教えは錦織のテニスの成熟を助けただろう。
故障が増えた2017年あたりから、別の形で強さを表現することが増えた。折れない強さ、とでも言えばいいか。
17年全仏3回戦は雨天順延で2日にまたがる試合となった。相手は当時売り出し中で、翌18年に全豪で4強入りする鄭現(韓国)。錦織は苦しみながらも2セットを連取したが、第3セットをタイブレークで失う。第4セットも0-3。ここで雨が強くなり、順延された。
鄭は常に全力プレーで、鉄壁の守備とカウンターパンチが手ごわかった。錦織はその守りをこじ開けられない。ミスが増え、第4セット、サービスゲームを2度続けて落とすと、珍しくラケットを叩きつけた。翌日の再開後も3ゲームを続けて落とし、このセットは0-6。流れは鄭に傾いた。ところが、最終セット、錦織は最後に勝負強さを発揮して、3時間51分の熱戦を制した。
「雨が降らなかったら100%負けていた」と正直だった。運も味方してくれたが、最後まで攻めた。相手の失速を待つという選択肢をとらず、自分から崩しにいった。弱気な自分を、強気な自分が制したのだ。
19年全豪ではセットカウント0-2からパブロ・カレノブスタ(スペイン)を倒した。優勢だった第1セットをタイブレークで落とし、第2セットは調子を上げた相手に主導権を握られた。「がっかりしたが、考えすぎず、1ゲームずつ取っていこうと思った」と錦織が2セットを連取。だが、最終セットは終盤にもたつき、勝敗は10ポイント先取のタイブレークに委ねられた。
スコアは5-8、あと2ポイントで敗退のピンチだ。だが、主審の微妙な判定と、これに平常心を失った相手にも助けられ、錦織が5ポイントを連取、逆転勝利となった。同大会で3度目のフルセット勝利に錦織は「タフになったなと感じる。経験や体の強さ、いろんなものの積み重ね」と胸を張った。
鄭現戦やカレノブスタ戦のように、不安定なプレーで苦戦を招いたかと思えば、土俵際で盛り返す試合ぶりは「錦織劇場」と呼ばれた。心臓にはよくないが、勝利で幕が降りれば、ファンはハッピーエンドの満足感にひたることができた。「劇場」とはうまく言ったもので、エンタテインメントとしても上々だった。蛇足ながら、優勝を狙うなら劇場開幕はできるだけないほうがいいのに、とやきもきしながら観劇したことは白状しておく。現場で取材し、すぐに記事に取りかかる立場では、波瀾万丈の試合をどう書けばいいかと途方に暮れる瞬間もあった。
錦織の強さや勝利へのこだわりと遊び心、その試合を見る楽しさを書いてきた。「魅せるテニスは勝つテニスと矛盾しない」と私見を書いたが、確かに勝つテニスと楽しいテニスは相反するものではないだろう。スポーツ観戦の楽しさの一つは、常人には真似のできないもの、卓越したものを目撃する喜びだ。技術、フィジカル、精神力に感嘆し、心が躍る。人ってすごいという素朴な感動だ。その卓越ぶりが、見る者を楽しくさせ、相手には試練となる。遊び心のスパイスが加われば、ファンはより楽しく、対戦相手はメンタルを揺さぶられる。
楽しさは強さと矛盾しない。しかし、錦織のようにそれを表現できる者は極めて少ない。


