
初優勝を目撃、テニス取材にのめり込んだ
錦織圭を良く知る人々を訪ね、話を伺うときにいつも、ふと思うことがある。
「錦織と出会う前と後とでは、この人の中の何かが、少し変わったのではないだろうか」……と。思い浮かべるのは、民俗学者・折口信夫が提唱した「まれびと」だ。
「まれびと」とは、ここではない世界からの訪問者。どこからともなくふらりと現れ、地元の人々と短い時間を共に過ごし、そしてまたどこかへと去っていく。まれびとが去った後の町も人も、外見的には何も変わっていない。ただ、一度まれびとに触れた人たちは、その前と同じではいられなかった——。
これは、各地に残る伝説や民間伝承のひな形でもあるだろう。実際に、錦織の郷里やテニス界の人々の口から語られる錦織のエピソードは、半ば神話的な余韻を残す。
錦織圭という人物は、自ら強い言葉を発したり、意識的に誰かを導こうとするタイプではない。「そんなに言葉数が多いタイプではない」というのも、多くの人たちが彼を形容する言葉である。
ただ、彼が放つ才能や意志の光、あるいは彼がまとう不思議な空気に触れた人は、自ずと何かしらの影響を受ける。時には、その後の人生が変わるほどの——。
錦織が5歳から13歳まで通った『グリーンテニススクール』の細木秀樹コーチは、後の世界4位にまつわる「とびっきりにかっこいいエピソード」として、次の思い出を語ってくれた。
グリーンテニススクールには「ナインボール」と呼ばれる、伝統的な練習法がある。コートの9か所に設置された、25㎝四方ほどのターゲット全てに連続でボールを当てるミニゲームだ。
ナインボールを始める前に、コーチは生徒たちに「目標は9球全部当てることだぞ!」と伝える。小学生の生徒たちは、無邪気に「はーい」と応じる。
だが実際には、一球だって当てるのは簡単ではない。錦織も最初の数回は失敗した。ところが何度目かのトライの末に、連続でターゲットにボールを当てるようになる。
以下、細木コーチの回想。
「圭が1球目を当て、2球目も当てる。『さすが圭だな』と思うのですが、3球目、4球目もガーンと当てたあたりから、こっちが『ちょっと待ってよ』みたいになる。
5球目、ガツーン。6球目、バーン。7球目、バーン! 8球目、バーン‼
もうね、ここに来たら球出しする僕の方が、手がプルプル。俺が下手して失敗したら……と緊張しながら9球目送ったら、ガツーン!! あたったー!」
固唾を飲んで見守っていたレッスン生たちは、一斉に大騒ぎ。ところが錦織は何事もないように、スタスタと列に並ぶべく向かっていく。
その背に向け興奮気味の細木コーチは、「おい、圭も喜べよ!」と思わず声をかけた。すると錦織少年は、ちらりとコーチの方に顔を向けて言ったという。
「はあ? だってコーチが9球当てろって言ったじゃん」……と。
「あっ」と我に返ったと、細木コーチが回想する。
「あの時の圭の言葉を……、僕の方にくるっと振り向き『はあ?』と言った時の表情を、今でも全然忘れられないですね。思い知らされました。『俺って、なんてちっちゃいヤツなんだ』って」
決まりが悪そうに首をすくめて、細木氏が笑う。あの日の出来事は美しい思い出であり、同時に「目線を高く保つべし」という、自分への戒めでもあるのだろう。
グリーンテニススクールからは、錦織の後も継続的に、全国大会で活躍するトップジュニアが誕生している。インターハイを制しプロとなった細木咲良は、細木コーチの愛娘だ。
鳥取市でテニスショップ「フラシーノ」を経営し、数々の国際大会で公式ストリンガーを勤める玉川裕康氏が、初めて錦織と会ったのは25年ほど前のこと。当時、鳥取大学のテニス部員だった玉川氏は、地元の『遊ポートテニスクラブ』でコーチのバイトをしていた。子どもたちが遠征に行くとなれば、引率することもある。そんな折、ときどきのクラブの生徒たちに交じって一緒にいた少年が、錦織だった。
出会った当初、さほど玉川氏の印象に残らなかった色白で小柄な少年は、やがて小学生の全国大会3冠を成し遂げ、盛田正明テニスファンドの支援を受けてアメリカに渡る。その錦織の旅立つ姿を目にした時、玉川氏は、ストリンガーとして生きていくと心に決めたという。
「おかしな話ですけど、圭には負けたくないって思っていました。圭がアメリカに行きその道を進むなら、自分もストリンガーとして世界を目指したいと思ったんです」
少しこそばゆそうに、玉川氏が打ち明ける。果たして玉川氏は29歳でストリンガーとして独り立ちし、国際大会でプロ選手たちのラケットにストリングを張るようになる。2017年のジャパンオープンや2008年北京オリンピックでも公式ストリンガーとなり、選手の錦織と再会を果たした。そんな時、玉川氏は「よしっ!」と心の中でガッツポーズをきめる。「圭を目標として追っていくことで、ここまで来られた感じはありますね」と、玉川氏は懐かしそうに笑った。
人々によって語られる錦織像も、訪れた土地や出会う時期によって微妙に異なる。彼自身が明確なメッセージを発することは少ないため、周囲は「錦織圭はこういう人だ」「錦織圭があそこまで強くなれたのは、こういう理由だ」と、あれやこれやと推測する。それは実は、語る人が掲げる理想や、時に抱くコンプレックスの投影。錦織圭は、己を映す鏡のような存在でもあるようだ。
4年前に引退し、現在は女子ナショナルチームのヘッドコーチとして活躍する奈良くるみさんは、錦織の強さの精髄を「どうやったら効率的に上手くなるかを考える能力」だと言った。13歳の時にIMGアカデミーにテニス留学した奈良さんは、長く彼の姿を目に焼き付け、時には練習相手もつとめてきた。その奈良さんが、こう語る。
「例えば練習時間が2時間あるとしたら、その2時間のマネジメントが上手なんです。『最初にこういう練習をし、その次にこれをやったら連動して上手くなれる』というのが分かっている。
それに、わたしがコーチとやっているメニューを見て『それ良いね』って取り入れたりもしているんです。人のアイディアを吸収する能力も高いし、それらをどんどん組み合わせて自分で練習メニューを作る力がすごいなと、一緒に練習したときにいつも思っていました」
天賦の才に恵まれたと思われがちな錦織だが、奈良さんは彼の強さの理由を練習に見出す。155センチの小柄な体で世界に挑み、誰からも「努力の人」「練習の虫」と称された奈良さんの哲学が、語られる錦織像に重なるようだ。
錦織圭の強さの理由を「フォアハンド」に求めたのは、伊藤竜馬さんと土居美咲さん。グランドスラムの常連だった伊藤さんと土居さんは、いずれもフォアハンドの強打を武器とした。その二人が異口同音に、錦織のフォアを絶賛する。
「すごく厚いグリップで、ラケットをボールに当てる能力が高い。しっかりボールをつぶし、反発力を生かしてドンと強いショットを打つような、独特の感覚を持っている(伊藤)」
「とにかく、懐が深い。ラケットを引いて構えた時、どこにボールが飛んでくるのか、本当にぜんぜん読めない。しっかり体を捻ってタメを作り、打つ直前まで体が開かずコースを隠している(土居)」
錦織のフォアをつぶさに分析する二人の視線には、フォアハンドで攻め抜き勝つことへの浪漫が滲むようでもある。
錦織と共にIMGアカデミーに渡り、現在は株式会社リコー男子テニス部の監督を務める喜多文明さんは、錦織の最大の魅力は「勝負強さ」だと断言した。もちろん、勝負強いのには訳がある。以下、喜多さんの解説。
「圭は、試合中に相手のバックハンドが弱いなと思ったら、最初のうちはあまりそこを狙わない。あえてフォアで打ち合って、バックへの攻めは大事な場面まで取っておく」
「僕、これが100%正解だって自信があるんですよ」と、喜多さんは言葉に力を込めた。そんな喜多さん自身、錦織以上に小柄な体で、大学や実業団で活躍してきた戦略家。喜多さんが見る「ファイナルセットの錦織の正体」もまた、彼のテニス観の投影だろう。
なお喜多さんは、プロか大学進学かで迷っていた折に、全豪オープンジュニアのダブルスで錦織に敗れ、大学進学を決めたという。
「錦織圭に、キャリアを終わらせてもらいましたよ」
目を優しく細め、喜多さんは茶目っ気たっぷりに言った。
錦織圭がまとう不思議な空気に触れた人は、自ずと何かしらの影響を受ける。18歳での衝撃のATPツアー初優勝を目の当たりにし、テニス取材にのめり込んだ人もいた。
手前味噌で大変恐縮だが、わたし自身のことである。
あの時、彼の優勝の瞬間に立ち会う僥倖がなければ、その後にライターとして仕事をもらえる機会も少なかっただろう。
彼がいなければ、行くことのなかっただろう町、一生会うことのなかっただろう人たちが、数えきれないほどある。
プレスルームに居るメディアは、母国の選手が活躍すると、コートサイドの記者席を優先的にあてがわれるなどの特権にあずかれる。
2014年の全米オープン。席を確保するため長い列を作る各国の記者たちの羨望の視線を浴びながら、準決勝のセンターコートへと向かった。
日本から、世界最強を目指しアメリカに渡った少年が、世界最大のテニス専用スタジアムで世界1位相手に舞い、放つショットの美しさで見る人々の感嘆のため息を誘っていた。そして勝利の瞬間には、観客が一斉に立ち上がり、センターコートで陽光を浴びながら飛び跳ねる勝者に、万雷の拍手を送る——。
どれもこれも、あなたがいなければ見ることのなかった景色です。
本当に、本当にありがとうございました。


