
グラミー賞の歴史において語らなければならない、またこの先も語り続けなくてはならないアーティストは数多く存在するが、昨年8月16日、76歳で巨星となったアレサ・フランクリンも間違いなくそこに名前が刻まれる一人である。“クイーン・オブ・ソウル(ソウルの女王)”と呼ばれる圧倒的な歌唱力と縦横無尽な表現力、声を発した瞬間、彼女だけの世界が確立されてしまう。そんなアレサはソウルやリズム&ブルースという垣根を越え、数え切れないほどのアーティストたちに影響を与えてきた。まさしくアメリカの国宝級といっても過言ではないシンガーであり、その長きに渡る輝かしいキャリアは今回61年を迎えるグラミーの歴史に匹敵する。代表曲「リスペクト」で68年第10回授賞式において初のグラミーウィナーに輝いて以降、生涯44度のノミネートと18度の受賞(女性アーティストの受賞数では歴代3位)を手にし、さらには功績を讃えるべきレジェンダリーなアーティストへ贈られる“Lifetime Achievement Award”や“Grammy Hall of Fame”、“MusiCares Person of the Year”をも受賞、まさしく最大の「リスペクト」を持ってグラミーから愛され続けた。授賞式のステージでも過去8度のパフォーマンスを行ない、その幾つかは今も伝説として語り継がれている。なかでも98年第40回授賞式でパフォーマンスを予定していたイタリアを代表するオペラシンガーで世界三大テノールと称された中の一人、ルチアーノ・パヴァロッティの代役を彼女が務めた一幕はグラミー関係者のなかでは語り草となっている。パヴァロッティが喉の不調を訴え、出番の数時間前に出演をキャンセル。この危機を救ったのがアレサだった。彼女はこの年“MusiCares Person of the Year”に選ばれたパヴァロッティを祝うセレモニーに出演していたそうだが、とはいえ授賞式当日に起こったこの緊急事態の代役を引き受け、ぶっつけ本番で見事に「Nessun Dorma(誰も寝てはならぬ)」を歌いきったのである。“女王”だからこそ成し得たグラミーの奇跡といえるエピソードだ。(このアレサの件以外でも授賞式にまつわるエマージェンシーな出来事は多々あるが機会があれば後日お伝えしたい)
先頃、現地時間1月13日、ロサンゼルスのシュライン・オーディトリアムでは『Aretha! A Grammy Celebration For The Queen of Soul』と銘された一大イベントが開催された。グラミーを主催するレコーディング・アカデミーと全米ネットワークのCBSが特別番組としてタッグを組んだアレサ・フランクリンの追悼イベントである。セリーヌ・ディオン、パティ・ラベル、ジョン・レジェンド、ジェニファー・ハドソンなどに加え、今回授賞式のホストを務めるアリシア・キーズやノミニーでもあるブランディ・カーライル、ジャネール・モネイ、H.E.R.といった面々が集い、アレサの残した名曲の数々を歌いながらその功績を讃えたそうだ。ご存知のように毎年グラミーの授賞式では亡くなったアーティストや音楽業界人たちを追悼するセグメントが用意され、追悼パフォーマンスも行われるが授賞式を前に開催された先のイベントは異例。様々なアニバーサリーを始め、その年のグラミーで大きく取り上げられるアーティストのイベントはこれまで授賞式後に行われてきた。あらためてアメリカ音楽界にとって、グラミーにとって、アレサの偉大さが伺い知れる。授賞式でも確実に彼女への追悼が行われると思うが“多様性(Diversity)”を重視した今回のグラミーにおいて人種や性別の差別が横行していた時代から、その唯一無二の歌声とともにアメリカに対峙してきたアレサ・フランクリン。“クイーン・オブ・ソウル”と呼ばれるまでの道のりは決して平坦なものではなかっただろうし、成功を手にした後も黒人であるがため、女性であるがための苦悩はつきまとっていたのかもしれない。いまアレサから語られる言葉がない代わりに私たちはあらためて彼女の残した曲たちに耳を傾けるべきなのだろう。