情熱の国の魅力を再発見する、イベリア半島鉄道の旅。

スペイン大紀行

サッカーの最高峰リーガ・エスパニョーラでも知られる情熱の国スペイン!初取材の高速列車ユーロメッドを始め、AVEやアルコ、アルビア、アルタリアを乗り継ぎ、イベリア半島を6回に渡って縦横断。芸術の街バルセロナからバレンシアへ。そしてスペイン最盛期の栄華を体感できる古都を巡り、首都マドリードから、ラ・マンチャ、アンダルシアへと駆け抜けます。世界遺産、音楽、踊り、食…スペインの魅力を満喫する鉄道大紀行です。

[PART2]カスティーリャの古都を巡って バレンシア〜クエンカ〜マドリード〜エル・エスコリアル バレンシア クエンカ マドリード エル・エスコリアル

[PART2]カスティーリャの古都を巡って

バレンシア 壮大な歴史のロマン溢れる、海に面した大都会
サンタ・マリア大聖堂

かつてイスラム教徒が支配したバレンシアを、キリスト教徒が奪還した1238年。その直後に建設が始まったこの大聖堂は、キリスト教徒による国土回復運動(レコンキスタ)の象徴とされます。鐘楼であるミゲレテの塔からは、バレンシアの街並みが一望できます。また、この大聖堂にはキリストが最後の晩餐で実際に用いたとされる聖杯が宝物として守られていることでも有名です。高さ7センチの聖杯は黒メノウでできており、その真偽は長年に渡り問われてきましたが、考古学調査により紀元前1世紀ころにパレスチナかエジプトで作られたと断定され、信憑性が一気に高まり、2006年にはローマ法王が式典に使用したことでお墨付きをもらうこととなりました。

サンタ・マリア大聖堂
サンタ・マリア大聖堂
ミゲレテの塔
ミゲレテの塔
伝説の聖杯
伝説の聖杯
ラ・ロンハ

ラ・ロンハ(絹の商品取引所)はバレンシアが誇る世界遺産。絹の取引のため、15世紀に建てられました。スペイン産の上質な絹は街に莫大な富をもたらし、バレンシアを国内随一の経済都市へと導き、スペインの歴史にも影響を与えました。コロンブスの大航海に資金を提供したのも、バレンシアの銀行家と商人たちだったと言われます。分厚い壁、塔、銃眼といった要素が一種の古城を思わせるラ・ロンハは敷地面積が2000uもあり、中には支払いができなかった者を収容する牢獄も作られていました。

ラ・ロンハ 外観
ラ・ロンハ 外観
柱のサロン(契約のサロン)
柱のサロン(契約のサロン)
海の領事の広間
海の領事の広間
エル・パルマール村〜パエリアレストラン〜

バレンシアから南へ17キロ。一部が地中海と接するアルブフェラ湖畔の村、エル・パルマール村へ。アルブフェラはスペイン一の米どころで、日本と同じ短粒米が生産されています。運河沿いの小道におよそ30軒ものパエリア専門店が軒を連ねるエル・パルマール村は、パエリア発祥の地。8世紀にイスラム教徒がもたらし、当時は猟師たちがウサギをはじめとする山の幸を具材としていたそうですが、その後海の幸が用いられ、味わいが広がりました。一輪の花から3本しか採れないめしべを乾燥させて作る「サフラン」はパエリアに欠かせない香辛料。その香りで肉や魚介の臭みを消してくれます。

アルブフェラ湖
アルブフェラ湖
運河沿いのパエリア専門店
運河沿いのパエリア専門店
パエリア発祥の地
パエリア発祥の地
闘牛

エル・パルマール村から南方にあるアルゲメシへ。ここでは毎年9月の末、聖母祭りの一環として行われる闘牛。この日を待ち望んだ多くの市民が、市庁舎前の仮設会場へと詰めかけます。闘牛士には3つの役割があり、闘牛の主役で、牛にとどめを刺す「マタドール」。競技前半に牛を操り、槍方の方に牛を誘導する銛打ちの「バンデリージョ」。そして馬上から牛の肩に槍を突き刺す槍方の「ピカドール」。彼らはそれぞれに見せ場を作りながら、観衆を熱狂へと導いていきます。そしてマタドールの美学は牛に苦痛を与えず、一瞬でとどめを刺すこと。観客たちは白いハンカチを振り、マタドールへ惜しみない賛辞を贈ります。

闘牛場
闘牛場
熱狂する観衆たち
熱狂する観衆たち
身をかわす闘牛士
身をかわす闘牛士
クエンカ ラ・マンチャ地方へ。世界遺産の要塞都市。
クエンカ旧市街

バレンシアを出発し、オレンジ畑を抜け、ブドウ畑が広がり始めるといよいよラ・マンチャ地方へ。標高1000mの高地であるクエンカは垂直に聳える断崖を天然の砦として、イスラム教徒によって建設された要塞都市です。岩山の麓には12世紀のカスティーリャ王 アルフォンソ8世が讃えられています。彼は兵士たちと羊の皮を被り、羊に紛れてイスラムの砦に侵入。難攻不落の要塞を攻略し、クエンカを奪還した英雄です。

要塞都市クエンカ
要塞都市クエンカ
カスティーリャ王 アルフォンソ8世
カスティーリャ王 アルフォンソ8世
クエンカの街並み
クエンカの街並み
宙づりの家

川床からの高低差は約50m。しかも敷地が狭いクエンカでは、断崖まで建物が密集しています。14世紀に建てられた「宙づりの家」は18世紀まで市役所として使われていた建物で、バルコニーが宙に浮かぶようにウエカル川の断崖からせり出しているのが特徴です。現在は現代美術館とレストランとして利用されており、秋には渓谷の紅葉が楽しめます。

宙づりの家
宙づりの家
せり出したバルコニー
せり出したバルコニー
秋には紅葉が美しい
秋には紅葉が美しい
聖マリアと聖フリアン大聖堂

13世紀、アルフォソ8世がイスラム教徒の手からクエンカを奪還して後、最初に手掛けたのが聖マリアと聖フリアン大聖堂の建設でした。ゴシック様式のこの大聖堂によって、クエンカは要塞都市から宗教都市へと変貌を遂げることとなりました。礼拝堂の主祭壇には幼子イエスを抱く聖母マリアのレリーフが飾られ、その奥には聖フリアンが祭られています。マリアから棕櫚の葉を受け取るフリアンの姿が描かれたれレリーフには、イタリア・カラーラ産の高価な大理石で作られています。

礼拝堂
礼拝堂
聖母マリアのレリーフ
聖母マリアのレリーフ
聖フリアンのレリーフ
聖フリアンのレリーフ
パラドール・デ・クエンカ

旧市街の対岸に聳えるパラドール・デ・クエンカは、16世紀に建てられた修道院でした。パラドールとは、古城や貴族の館、修道院など文化財を利用した国営ホテル。現在スペイン国内で90軒を超えるパラドールが観光客を迎えています。パラドール・デ・クエンカにはスペインの皇太子殿下が新婚旅行で宿泊したことでも知られ、窓からは世界遺産の街並みが一望できます。礼拝堂はバーラウンジに、木組み天井が美しい修道士たちの食堂は、現在レストランとなり、クエンカの伝統料理を味わえる場所となっています。

パラドール・デ・クエンカ 客室
パラドール・デ・クエンカ 客室
木組み天井のレストラン
木組み天井のレストラン
クエンカ山脈の野ウズラを使ったメインディッシュ
クエンカ山脈の野ウズラを使ったメインディッシュ
マドリード 陽光降り注ぐ、スペインの首都
プエルタ・デル・ソル(太陽の広場)

日本で言えば日本橋…イベリア半島の主要幹線道路の基準点となるここでは、新年を告げる鐘を鳴らす時計台があり、大晦日には大勢の人々で賑わいます。時計台の向かい側にはカルロス3世の記念碑、カルメン通りの入り口にはマドリードの紋章のシンボルにもなっている熊の銅像「熊とマドロニョの像」があります。この地で熊に追われた男の子がヤマモモの木に登り「ママ、逃げて(マデレ、ウィド)」と叫んだことがマドリードの語源となったという伝説があります。

マドリードの再開発を推進したカルロス3世の像
マドリードの再開発を推進したカルロス3世の像
熊とマドニョロの像
熊とマドニョロの像
観光客が絶えない街の中心広場
観光客が絶えない街の中心広場
サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアム(レアル・マドリード・スタジアム)

サッカーの名門、20世紀最高のチームと称されるレアル・マドリードの本拠地。1902年に設立されたレアル・マドリードは、サッカー好きだった時の国王アルフォソ13世が命名しました。マドリード市民からも熱狂的な声援を受けるレアル・マドリードは、世界中のサッカーファンの憧れ。スタジアムには試合のない日にも世界中から多くの人が訪れます。併設される博物館では、チームの歴史を辿るだけでなく、スーパースターが実際に身に着けたユニフォームなどが飾られ、見る人の胸に感動の名シーンを蘇らせます。

スタジアム
スタジアム
8万人の大観衆がスタジアムを揺らす
8万人の大観衆がスタジアムを揺らす
トロフィー・ルーム
トロフィー・ルーム
国立プラド美術館

マドリードが誇る美の殿堂。大航海時代以降、スペイン王室が豊かな財力にモノを言わせ、収集した多数の名画が所蔵されています。中でもスペインの3大巨匠の名画は訪れる人々の心を捉えて離しません。クレタ島に生まれ、人体を捻じ曲げ、引き伸ばすという独自の手法を用いたエル・グレコ、天才の名を欲しいままにし、宮廷画家として寵愛されたベラスケス、近代絵画の父と呼ばれ、作品に鋭い批判精神を持ち込んだゴヤ。彼らをはじめとするヨーロッパの巨匠たちの名画を堪能できる、世界で最も有名な美術館の一つです。

巨匠たちの名画が並ぶ
巨匠たちの名画が並ぶ
ベラスケス画 「ラス・メニーナス(女官たち)」
ベラスケス画 「ラス・メニーナス(女官たち)」
ゴヤ画 「裸のマハ」
ゴヤ画 「裸のマハ」
エル・エスコリアル いにしえの王たちが眠る、巨大な王室離宮の街
チャマルティン〜エル・エスコリアル

マドリード・チャマルティン駅から普通列車で約1時間。丘陵地帯に広がるオリーブ畑を抜けて一路エル・エスコリアルへ。近代的なデザインの車両内部はスペースも広く、社内の一部は低床式になっており、車椅子での乗り降りや自転車の積み込みもスムーズにできるようになっています。列車はグアダラマ山脈の南麓を走り、16世紀にマドリードを首都に定めたフェリペ2世が歴史を開いた街、エル・エスコリアルに到着しました。

チャマルティン駅は近郊列車の発着駅
チャマルティン駅は近郊列車の発着駅
近代的な車両デザイン
近代的な車両デザイン
オリーブ畑を抜けて走る
オリーブ畑を抜けて走る
王立サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル修道院

フェリペ2世は父の遺訓を守り、カトリックの熱心な擁護者となり「王冠を被った修道士」と呼ばれました。1577年のサン・カンタンの戦いでの勝利をきっかけにこの修道院を建設。3世紀に殉教の死を遂げた法王の執事、サン・ロレンソを祭りました。礼拝堂の地下には歴代11人の国王と王妃たちの棺が納められた霊廟があるほか、壁には巨匠ゴヤの描いたタペストリーが飾られるなど、各所に豪華な装飾が施されています。しかし彼が王宮に移ってから5年後、スペインの無敵艦隊がイギリスに敗れ「太陽の沈まぬ大帝国」の形容詞はスペインからイギリスへと移行して行くのです。

王家の霊廟
王家の霊廟
豪華な装飾
豪華な装飾
図書館に置かれた大航海時代の地球儀
図書館に置かれた大航海時代の地球儀
回廊を利用した「戦闘の間」
回廊を利用した「戦闘の間」
王の書斎から見下ろす中庭
王の書斎から見下ろす中庭
修道院を見下ろす山腹にある「フェリペ2世の椅子」
修道院を見下ろす山腹にある「フェリペ2世の椅子」