旅情あふれるミャンマー鉄道に揺られ、世界が注目する新興国の今に触れる。
国民のおよそ9割を仏教徒が占め、その教えから“笑顔の国”と呼ばれるミャンマー。改革開放が進み、民主化という新たな歩みを始めたこの国は今、経済だけでなく観光の分野でも世界中から注目を浴びています。開発著しいヤンゴンから、第2の都市・マンダレーへと向かい、王朝の歴史や仏教文化、さらには少数民族の文化にも触れる鉄道の旅です。
PART2
バガン〜アマラプラ〜マンダレー〜ティーボー
11世紀に仏教を国教に定め、国家統一を成し遂げた、バガン王朝の都がエーヤワディー川の畔に開かれたバガン。55代続いたバガン王朝の最盛期には、その中心地であるオールドバガンに約1万3000ものパヤーや寺院があったといいます。現在も大小2000もの遺跡が林立するここは、アンコール・ワットやボロブドゥールとともに世界三大仏教遺跡に数えられています。
バガン屈指の美しさと讃えられる11世紀創建の寺院。正方形の基壇に黄金の仏塔がそびえ立つ外観は、実に優美。内部には東西南北それぞれに釈迦を含む4人の仏陀の像が安置され、崇拝されています。回廊や祠など見どころ尽きないこの寺院には、かつてインドやスリランカなど、世界中から学僧が集まり学んだといいます。
バガン王朝の前期、1057年に建てられたこの仏塔は、夕陽の絶景ポイントとして知られ、日没には大勢の観光客が集まってきます。5層の基壇の最上部まで登ると、眺めはまた格別。大地に浮かぶ仏塔や寺院のシルエットが幻想的です。仏塔には釈迦の遺髪が納められています。
ミャンマー文化の発祥地といわれるバガンでは、王朝の始まりから金細工や彫刻、陶芸など、10種類の産業が奨励され、地場産業として定着してきました。自生する漆と良質の竹を用い、馬の毛を編み込み強度を増す、漆器もそのひとつ。伝統の図柄を刻み、金箔を貼ったバガンの漆器は最上級品とされ、現在は専門学校や大学でも伝統文化の継承が図られています。
ミャンマーの少年は10歳前後で、僧侶になるための出家の儀式、得度(とくど)式を行います。幼い頃の釈迦に倣い華やかな衣装に身を包む、祝いの式の後、1週間ほど僧院で修行し、晴れて釈迦の弟子となります。得度式を行わない男性は社会的に認められず、結婚や仕事にも影響を及ぼすことから、男子にとって必須の通過儀礼となっています。
古くからミャンマーでは、自生するオウギヤシがさまざまな形で暮らしに活かされてきました。お茶請けとして親しまれているヤシ砂糖も、酒も、オウギヤシから作られます。葉っぱはかつて紙の代用品として使われ、幹は建築資材として今も活用されています。
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コンバウン朝の王都があったアマラプラは、古くから豊穣の湖として親しまれてきたタウンタマン湖とエーヤワディー川の間に広がっています。湖や川で獲れた新鮮な魚介類をピーナッツ油で揚げた唐揚げは、素材の旨みを存分に楽しめるこの地の名物。19世紀に築かれ、修復を重ねながら今も生活道路として活躍する全長約1.2㎞のウー・ベイン橋からは、漁をする人々の様子が垣間見られます。
国内最大級のこの僧院では、全国から集まったおよそ1200人の修行僧が共同生活を送っています。彼らは午前4時の起床から午後10時の就寝まで、経典を学び、煩悩を断ち切るための修行に励みます。僧院では彼らの食事風景を見学できる他、いっせいに並び托鉢に出かける様子も間近にできます。
アマラプラは有名な織物の産地。街の路地には、機織りのリズミカルな音を響かせるいくつもの工房が点在しています。かつて王侯貴族が愛用したアマラプラの絹製品は現在、得度式や結婚式にまとう晴れ着として人々に親しまれています。ロンジーと呼ばれる腰巻は、老若男女に愛される、風通しが良い民族衣装です。
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ヤンゴンに次ぐミャンマー第2の大都市マンダレーは、王宮を中心に碁盤の目のように道が整備され、行き交う車やバイクで街は活気にあふれています。観光のハイライトは王宮とその北東部に位置するマンダレーヒル。山頂に古い仏塔が建ち、高台全体が寺院のようなマンダレーヒルには多数の祠や仏塔が点在し、テラスからは街が一望できます。
コンバウン朝のミンドン王が侵略を恐れ、遷都し建造した王宮は、完成からわずか20数年後の1885年、英国軍に占領され、王朝は消滅。ここがミャンマー最後の王宮になりました。また第2次世界大戦では日本軍と英印軍がここで戦い、王宮は城壁を除き建物すべてが焼失しましたが、近年修復が完了。蘇った豪華絢爛な装飾に、王朝の栄華が偲ばれます。
ミンドン王時代の木造建築による貴重な僧院。チーク材をふんだんに用い、外壁や内壁の隅々にまで精緻な彫刻が施された、全体が芸術作品のような建造物です。完成当時は王宮にあり、しばしば足を運んだミンドン王はここで息を引き取ったといいます。ミンドン王を継いだティーボーは建物を現在の場所に移し、しばしば瞑想の場として使いました。
コンバウン王朝はマンダレーの街にさまざまな産業を開花させました。金箔もそのひとつ。市内では約80軒の工房が伝統の金箔作りを続けています。大きなハンマーでひたすら叩き、わずか1万分の2㎜の薄さになるマンダレーの金箔は、海外からも注文が絶えない純度99%以上の純金。形が整えられ全国の寺院で販売される金箔は、参拝者の願いとともに仏像に貼られていきます。
ミャンマーの人形劇は、11世紀のバガン王朝の時代から宮廷文化として発達。当初は仏教の説話が中心でしたが、次第に世俗的な要素が加わり、村祭りでも盛んに上演され、庶民の伝統芸能として広がっていきました。人形遣いが巧みに糸を操り、喜怒哀楽を表現する人形は、まさに命が吹き込まれたかのよう。繊細な動きに音楽が重なり、観るものを引き込んでいきます。
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海抜84mのマンダレーからティーボーに向け列車が走るのは、ミャンマー東部の山岳地帯。キャベツ畑を抜け、高原の避暑地ピンウールィン駅で、名産のイチゴを売る少女たちを横目にさらに進んでいくと、出現するのはミャンマー屈指の鉄道名所、ゴッティ鉄橋です。20世紀初頭にイギリスが建設した橋は、300m以上の深い谷間に掛かる全長689mの鉄橋です。世界第2位の高さを誇っています。
ミャンマー最後の王ティーボーが若き日に治めた、ミャンマー東部の山間部の中心地。シャン民族が多く、藩王の居館や夏の王宮などが残っています。小ぢんまりとした町中には、名物のお茶や織物の工房が点在しています。
3月の満月の日、ボーヂョー・パヤーの境内に大勢が詰めかけ開催されるのが、タバウン満月祭です。生まれた日も、悟りを開いた日も、生涯を閉じた日も満月だったというお釈迦さま。その釈迦の人生にちなんでミャンマーでは年間通じて満月の夜に各地で祭りが開催されます。中でも1年の無事を感謝して一際盛大に催されるのがこの祭りです。
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