TOP マレー半島縦断 PART1 PART2 タイ縦断 PART1 PART2 こぼれ話
我々でも出来る! マレーシア・ボレ 笑ってる場合ですよ! な国「タイ」

我々でも出来る! マレーシア・ボレ

「Yes We Can!」ではないが、マレーシアにも素敵なキャッチフレーズがある。それが「マレーシア・ボレ(マレーシアだってできるのだ)」。前首相マハティールの国家目標、「2020年までに先進国になる」という宣言とともにマレーシア国民を支える言葉だそうだが、日本人ダメディレクターの私からすると「あなたたちの方がデキる人たちだよ!」と思える数々の事例をここに記そう。

マレーシア・ボレ! 我々でも撮影できる!

マレー半島縦断Part-2のテーマは、『多民族国家の伝統を見つめる旅』であった。マレーシアは、マレー系、中国系、インド系と、宗教・生活習慣・食文化などが異なる人種が、お互いを尊重し生きている。クアラルンプールでは、中国系住民の聖地関帝廟やインド系住民の聖地バトゥ洞窟でそれぞれの価値観を実感した。

そしてマレー系住民の聖地モスク・マスジットジャメを訪れたときのこと。事前にコーディネーターの窪田さんから「イスラム教徒ではない私たちは、内部やお祈りの様子は撮影できないと思います」と言われていた。でも、到着すると敷地内に招き入れられた。一人の関係者が歩み寄り、なんと撮影大歓迎のご様子!? マレーシア・ボレ(我々でも撮影できる)ようだ!

その日は、モスクから恵まれない人々へお菓子や衣服などの施しを行う式典が行われていた。我々はその様子を海外に伝える日本の報道マンと思われたらしく、歓待を受けてモスク内にまで潜入。窪田さんも「本当にイイのかな〜」と心配しつつ、イスラムの伝統行事を撮影することができた。撮影趣旨を説明して、お昼にモスクでお祈りする人々も撮影させていただくことになった。厳格なイスラム教徒なのに、ノリでいろいろと許してくれるおおらかさ! まさにこれがマレーシア! と実感したのであった、

が…。

実は、我々をエスコートした方はモスクの責任者ではなく、式典の関係者であり撮影許可を下す立場の人ではなかったのだ。メインコーディネーターのアンさんが後日、モスクの僧侶から烈火の如く叱られたのは言うまでもない。ごめんねアンさん!

マレー系住民の聖地モスク・マスジットジャメ 窪田さん「本当にイイのかな〜…」

マレーシア・ボレ! 同じ釜の飯を食う人々

マレーシアロケのもう1つの目的。それはラマダン(マレー語でプアサ、イスラム教徒の断食)を撮影することであった。一カ月間、イスラム教徒は日の出から日没まで水一滴、米一粒口にできない。もしこの禁を破れば、宗教警察に捕まり有罪判決が出るという! 実際、列車に乗り込むイスラム教徒は朝5時30分には駅前の食堂で食事を済ませ、夜7時半まで何も食べていなかった。日中の気温が30度を超える中で水一杯飲めない辛さは想像を絶する。そんなイスラム教徒を尻目に昼食をとるのは後ろめたい気もしたが、現地の中国系、インド系の人々は慣れたもの。多少の気は使うものの、何事もないかのように食事をするのであった。

マレーシア北部の町アロースターでは、ハリラヤ・プアサ(断食明けのお祭り)を迎える人々と出会った。ジャラン・ジャラン(散歩)を楽しみながら、市場で新しい衣服や帽子を入念に選んでいた彼ら。新年に新しい服を着せてもらった子どもの頃を思い出し、ホンワカしたのは齢のせいか。そして迎えた念願の時。日没を告げるアザーン(コーランの読経)が鳴り響き、町中のマレー系の人々が一斉に夕食をとり始める。これはまさに「同じ釜の飯を食う」ではないか。これまた幼少期、家族で夕食を囲んだささやかな幸せを思い出す光景であった。

ジャラン・ジャランする人々

イスラム教を信奉し、強い道徳心を育み、弱者へのいたわりを忘れず、親しき人と食事を楽しむマレー系の人々。そして、それぞれの生活様式を守り、共存する中国系、インド系の人々。「マレーシア・ボレ! あなたたちこそ本当の豊かさを知る、真の先進国の人々だよ!」と思ってしまう涙もろいダメディレクターがそこにいた。しかし、「僕はイスラム教徒になれないな。だって禁酒は無理!」と素に戻り、今日もコンビニにビールを買いに行くのであった。

セブ○・イレブ○もどきのコンビニビールもあまり売ってない

終わりに…「国境はどこ? 私はどこ? なマレー鉄道の旅」

我々のような撮影クルーは国境越えの際、一般旅行者以上に気を使う。高価な撮影機材を海外に持ち込み、それを売り払わないと約束する書類「ATAカルネ」(外国への輸入税の支払いや保証金の提供が不要となる支払保証書)に、税関で印とサインをもらわなければならないからだ。出発前から不安に駆られたのが、書類の検閲場所。通常はA国で出国手続きをし、国境を超え、B国で入国手続きをする。ところがここでは、シンガポールを出国しないままマレーシアに入国してしまう、という事態が起こるからだ。

まず、シンガポール駅でマレーシアの入国審査を済ませる。そして二重入国状態のまま約30分列車に揺られ、国境に近いシンガポールのウッドランズ駅でいったん下車して出国審査。この「入国⇒出国」の逆転現象は、牽制と協力のバランスを保つ両国の微妙な問題から生じたようだ。シンガポールがマレーシアから分離独立したのは1965年だが、シンガポール駅の敷地や建物は今もすべてマレーシア鉄道が保有している。かつてはここで出入国審査を一気に済ませていたが、1998年よりシンガポールが国境付近で審査をすると言い出した。そして両国は、それぞれが主張する場所でそれぞれに出入国管理を始めたのである。

場面写真結論からいうと、カルネのチェクもスムーズに済んで心配は杞憂に終わったのだが、国境の主権問題とはなかなか難しいと改めて思い知らされた。そう考えると、改めてEU圏内の出入国の自由はとても大胆な決断だったと思う、マレー半島縦断の取材であった。


ページの先頭へ戻る 笑ってる場合ですよ! な国「タイ」