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生活費を稼ぎながら路上ファイトで腕を磨く
4/10 ラスト・ファイトのマニー・パッキャオ 壮絶な半生 2016.03.25

4月9日(日本時間10日)、6階級制覇王者マニー・パッキャオ(37=フィリピン)がラスト・ファイトを迎える。アメリカのネバダ州ラスベガス、MGMグランドガーデン・アリーナで前WBO世界ウェルター級王者、ティモシー・ブラッドリー(32=アメリカ)と拳を交えるもので、パッキャオは過去1勝1敗と星を分けているライバルに決着をつけて有終の美を飾るつもりだ。注目ファイトを前に、今回はパッキャオの壮絶な半生を振り返ってみよう。

パッキャオは1978年12月17日、フィリピンのミンダナオ島キバウェで生まれた。フルネームはエマヌエル・ダピドラン・パッキャオという。当時は政府軍と反乱軍が激しい内戦を繰り広げる混乱の時代だった。生まれた当時のパッキャオの家は屋根がココナツの葉で覆われたもので、「何日も食べなかったこともある」とパッキャオは貧しかった当時を振り返っている。のちのスーパースターが生まれてまもなく父親は家族のもとを離れ、貧困には拍車がかかった。2年後、パッキャオには異父弟が誕生する。このボビーものちにプロボクサーになり世界ランクにも名を連ねるまでになった。「僕がいじめられていたり困っていたりすると必ず兄が助けてくれた。兄は優しくて素直な性格なんだ」とボビーは兄を自慢している。

パッキャオは経済的な理由から小学6年で学校をやめ、前後して12歳(11歳説もある)のときにボクシングを始めた。家出同然でマニラに働きに出たのは13歳のときだった。山から採ってきた果物を路上で売って小金を稼いだほか、賞金の出る路上ファイトにも出場。こうして手に入れた金を母親に仕送りしたというのだから泣かせる。

アマチュアで64戦60勝4敗というみごとな戦績を残したパッキャオはナショナル・チーム入りも打診されたが、生活費を稼ぐ方が先決と判断して断ったという。プロデビューしたのは95年1月のことで、当時はまだ16歳1ヵ月だった。「18歳と偽ってプロに転向した」とパッキャオは明かしている。デビュー戦の体重は106ポンド(約48.0キロ)と記録されているが、普段の体重が43~44キロと軽すぎるため計量時に10ポンド(約4.5キロ)の錘を持って秤に載ったというエピソードもある。

デビューから1年後にKO負けを喫するなど挫折も味わったパッキャオだが、18歳で東洋太平洋王座を獲得し、19歳でWBC世界フライ級王者になるなど出世は早かった。世界戴冠の半年前に後楽園ホールで対戦して3度のダウンを奪われて1回KO負けを喫した寺尾新氏は「鉄の棒で殴られたような衝撃。首が肩にめり込んだかと思った」と、パッキャオのパンチ力に驚愕したものだ。その後、パッキャオは減量失敗のために世界王座を失うと一気に3階級もアップ。さらに01年には主戦場をアメリカに移すなど思い切った決断をした。ラスベガスの注目イベントの前座に代役で世界挑戦の機会が回ってくるなど運も味方した。

その後のパッキャオの活躍ぶりは多くの人の知るところであろう。
01年にスーパー・バンタム級王座を獲得すると、アメリカでの注目度も増し、パッキャオはスターの座に上り詰めた。08年にスーパー・フェザー級とライト級を制覇。翌09年にはウェルター級でも王座を獲得し、10年にはスーパー・ウェルター級のベルトも腰に巻き6階級制覇を達成した。

向かうところ敵なしにみえたパッキャオだが、12年6月、快進撃を止められた。その相手がブラッドリーだった。
<つづく>


Written by ボクシングライター原功

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