バイオグラフィー

デイヴ・グルーシン


デイヴ・グルーシン (Dave Gruisin)は、1934年6月24日、コロラド州リトルトンにて、ラトヴィアから移り住んだヴァイオリニストの父とピアニストの母の間に生まれました。
幼い頃から十分な音楽教育を受け、コロラド大学音楽学科に進学。1959年、ニューヨークのマンハッタン音楽学院で大学院課程の修業中に、当時売出し中の歌手、アンディ・ウィリアムズの伴奏者としての職を得ます。60年代に入ると、ロサンゼルスに移り、TV番組「アンディ・ウィリアムズ・ショー」の音楽監督として活躍しながら独自の音楽活動を開始。67年からは映画音楽の世界に進出し、「卒業」や「刑事コロンボ・殺人処方箋」をはじめ数々の名作に取り組みます。映画音楽制作の合間にはクインシー・ジョーンズやセルジオ・メンデスらとも交流を深め、ジャズ・フュージョン・ブームの一役を担います。
日本では渡辺貞夫との共演でその名が一層知られるようになりました。76年からはレコーディング・エンジニアのラリー・ローゼンと独立プロダクション、GRPを設立。ブルーノート・レーベルからアール・クルーを送り出します。78年にはレコード会社として独立し、パティ・オースティンやダイアン・シューア他、多くのヒット・アルバムを制作し、大成功を収めます。
一方、映画では「天国から来たチャンピオン」(78年)、「黄昏」(81)、「トッツィー」(82)、「恋におちて」(84)などの話題作を手がけ映画音楽の作曲家としてその名を一層広めました。それまでの作品も数々の賞に輝きますが89年の作品、「ミラグロ/奇跡の地」で待望のアカデミー賞を受賞。94年以降はGRPレーベルを売却し、自身のプロジェクトに専念します。映画音楽制作に並行して様々な企画のアルバム制作や演奏活動を頻繁に行い、現在も尚、第一線で精力的に活躍を続けています。