バイオグラフィー

エロル・ガーナー


エロル・ガーナー(Erroll Louis Garner born June 15, 1921, Pittsburgh, Pa., U.S.)は、1921年6月15日、ペンシルヴェニア州ピッツバーグに生まれました。
父、兄共にピアノを弾く環境に育ちますが、独学でピアノ演奏技術を習得。7歳の時からラジオに出演し、ピアノを演奏。10代前半にして、既に地元でプロのミュージシャンとなります。
1944年に、ニューヨークに移り住みサイドマンとして活動し始めますが、間もなくしてアート・テイタムの抜けたトリオのメンバーとなりました。1947年、ロサンゼルスで活動中にチャーリ・パーカーの録音に参加。また、個人の活動として40年代中ごろからその演奏技量を買われ、レコード製作やコンサート出演など頻繁に依頼を受けます。ナイト・クラブ活動からより大きな会場へと活動の場を広げて行きました。
1954年、彼の存在を決定付ける名曲、「ミスティ」を収録したアルバムを発表。そして56年に発表したライブ・アルバム、「コンサート・バイ・ザ・シー」は爆発的な売れ行きを見せ、当時の米コロムンビア・レーベルで最も稼ぐジャズ・アーティストとなりました。
その後もアルバムを出す度に好セールスを続け、トップ・ジャズ・ピアニストとしての名声を得て、世界各地で演奏活動を繰り広げます。そして、事前の準備無しにレコーディングをこなす能力のあるエロル・ガーナーは、多くのレーベルに数々の作品を残しました。
1975年、肺がんにより健康が悪化し、演奏活動を中止。1977年1月2日、55歳の人生を終えました。