バイオグラフィー

キャノンボール・アダレイ


キャノンボール・アダレイ、本名ジュリアン・エドウィン・アダレイ(Julian Edwin Adderley)は1928年9月15日、フロリダ州タンパで生まれました。少年期にアルト・サックスを始めた彼は20才の頃から地元のハイスクール・バンドの音楽監督を務め、街の名士となります。1955年、実弟でコルネット奏者のナットとバンド結成を目指してニューヨークに進出。ジャズ・クラブで飛び入り参加したそのプレイが評判を呼び、一躍キャノンボールの名が広まりました。57年にマイルス・デイヴィス・クインテットに参加、58年にはマイルスの協力の元に自己名義の名作、「サムシン・エルス」を発表。翌59年にマイルスの傑作アルバム「カインド・オブ・ブルー」の録音に参加した後、弟のナットとグループを結成し、より一層名声を得ます。1966年には在籍中のバンド・メンバー、ジョー・ザヴィヌルの作曲による名曲、“Mercy, Mercy, Mercy”を発表。バップやソウル・ジャズ、そしてボサ・ノヴァなど、時流をうまく取り入れながら活躍を続けたキャノンボールでしたが、1975年8月8日、インディアナ州ゲイリーで脳梗塞のため、突然この世を去ることになります。更なる発展を期待された46歳という若さでした。