バイオグラフィー

カウント・ベイシー


カウント・ベイシー、本名ウィリアム(ビル)・ジェイムズ・ベイシーは1904年8月21日、ニュージャージー州レッド・バンクに生まれます。母からピアノの手ほどきを受けますが、初めはドラマーを目指します。しかし、自分より有能なドラマーの出現や、当時活躍していたジェイムズ・P・ジョンソンやファッツ・ウォーラーなどに影響されピアニストに転向。20歳前から地方巡業を始めました。1927年から滞在したカンザス・シティで、多くの良き音楽仲間と出会い、ベイシー・サウンドの基礎を築きあげます。’35年に自身のバンドを結成。ジョー・ジョーンズ(ドラムス)やレスター・ヤング(テナー・サックス)を擁したこのカウント・ベイシー・オーケストラは、カンザス・シティに居ながら、普及しはじめたラジオ放送を通じ、レコーディングのチャンスを得ました。
’30年代末までに“ワン・オクロック・ジャンプ”などのヒット曲を発表し人気バンドに成長。
’50年には世界大戦後の不況でバンドを縮小をしますが、2年後には再びビッグバンドを結成。ニール・へフティやクインシー・ジョーンズなどのアレンジャーを起用すると同時に、フランク・フォスター、サッド・ジョーンズなど有能なバンド・メンバーにも恵まれ、多くの傑作アルバムを残しました。
また’60年代以降、アメリカ国内のみならず、ヨーロッパ、アジアを中心に定期的に回り、ベイシーと彼のバンドは世界中のファンの期待に応え続けました。
そして、1984年4月26日、前年に亡くなった妻、キャサリーンの後を追うようにこの世を去ります。