UEFA EURO 2012TMに合わせて開催国を紹介。

ポーランド周遊1200キロ ウクライナ周遊2000キロ

今回は、ついに開幕する4年に1度のサッカーの祭典、ユーロ2012に沸く2つの開催国を訪問。同じスラブ文化圏でありながら、西欧と隣接し独自の文化を築いてきたポーランドと、今なお色濃いスラブ文化が息づくウクライナを紹介します。現役のSL路線など見どころも多い鉄道旅を、表情豊かな東欧の文化、美しい自然風景とともにお届けします。

[ウクライナPART2]コサックの聖地からクリミア半島へ ハルキフ〜ザポロージェ〜セヴァストーポリ〜ヤルタ

コサックの聖地からクリミア半島へ ハルキフ〜ザポロージェ〜セヴァストーポリ〜ヤルタ

ハルキフ キエフに次ぐウクライナ第2の都市
自由広場

市の中心地にある円形の大きな広場。現在はEURO 2012TMの公式ファンゾーンが設けられています。全長が750mもあり、ヨーロッパのみならず世界でも屈指の広さ。中央に立つレーニン像は高さ約8.5m、台座も入れると約20mもあり国内最大級。広場の隣には、ウクライナの国民的詩人シェフチェンコの名を冠した大きな庭園や水族館、植物園、動物園などがあり、市民の憩いの場です。

ハルキフの街
ハルキフの街
レーニン像
レーニン像
パブロボ・ポーリェ市場

農業、酪農、畜産が盛んなウクライナ。ハルキフには市場が10数カ所もあり、色鮮やかな野菜や果物が豊富に並んでいます。市場で特にウクライナらしい店は、サーロの専門店。豚の脂身を塩漬けや薫製にしたもので、薄切りにして黒パンと一緒に食べるのが一般的です。ウォッカのつまみに、料理の隠し味にと使い方は幅広く、これを入れることでボルシチの味にも差がつくそうです。

パブロボ・ポーリェ市場
パブロボ・ポーリェ市場
青少年宮殿

子どもの文化的・学術的才能を伸ばすために、1993年に設立された施設。スタジオ、劇場、天文台、ジムなどの設備が整い、3〜21歳の子どもたちが、約200グループに分かれてサークル活動を楽しんでいます。内容は、科学、文学、植物学などの学問分野、ダンス、音楽、歌などのエンターテインメント、その他スポーツや工芸など多種多様。海外公演を行うサークルやオリンピック選手も輩出しています。

青少年宮殿
青少年宮殿
民族舞踊のサークル
民族舞踊のサークル
ザポロージェ ウクライナ・コサックの拠点があった町
ザポロージェ・シーチ

ドン川流域を本営としたロシア・コサックに対し、ドニエプル川の下流域を拠点としたのがザポロージェ・コサック。ウクライナ・コサックの代表格です。そのシーチ(拠点)が1/10規模で復元され、民族衣装をまとったコサックたちが伝統文化を伝えています。サーベルが火花を散らす武術、独特な工芸品。そして激しい騎馬戦から編み出されたであろうアクロバティックな馬術は、目を見張るほどの迫力です。

コサックの戦い
コサックの戦い
騎馬ショー
騎馬ショー
手作りの工芸品
手作りの工芸品
子供鉄道

鉄道員育成のため、8〜15歳の青少年だけで運営される狭軌の鉄道路線。ウクライナでは主要8都市に同様の鉄道があり、ザポロージェでは1600人が所属。夏の間に列車を運行し、残りの季節は理論教育が行われ、卒業後は約95%が鉄道の仕事に就くそう。整備、運転、運行管理、車掌など、すべての業務を子供たちが行っているのは驚くやら微笑ましいやら、鉄道ファン垂涎の施設です。

子供鉄道
子供鉄道
車掌実習
車掌実習
ドニエプル水力発電所

旧ソ連が近代化、工業化を推し進めた「第一次五カ年計画」の電化政策により、1932年に建設されました。2億2,000万ルーブルの巨費を投じ、発電量は当時世界最大の1500メガワット。以後、ザポロージェは国内有数の工業都市として発展していきます。ちなみにドニエプル川には6カ所のダムがあり、総貯水量は430億トン。日本の黒部ダムが2億トンですから、途方もないスケールです。

レーニン・ダム
レーニン・ダム
セヴァストーポリ クリミア戦争の舞台となった黒海を臨む港湾都市
シンフェローポリ駅

セヴァストーポリへ向かう前に、クリミア半島で一番大きい街シンフェローポリで途中下車し、バフチサラーイへ寄り道します。シンフェローポリの駅舎は、大きなアーチを多用し、大理石の円柱も壮観。リゾート感あふれる明るさも、ウクライナでは新鮮に感じます。ヤルタをはじめ多くの黒海沿岸地域は鉄道が通っておらず、多くの旅行者はこの駅から車を使うことになります。

シンフェローポリ駅
シンフェローポリ駅
ハーンの宮殿

近郊の町バフチサラーイでは、クリミアのハーン(王)が暮らした宮殿を訪れましょう。16世紀前半、オスマントルコの影響を強く受けたオリエンタルなスタイル。豪華なインテリアに王たちの豪華な生活が伺えます。クリミア最後の王が亡くなった愛人を悼んで造らせた「涙の泉」は、プーシキンの詩にも詠われた名所。「石にも涙を流させよ」との命により、涙の如く落ちる水の雫で悲しみを表現しています。

ハーンの宮殿
ハーンの宮殿
謁見の間
謁見の間
ウスペンスキー修道院

ハーン宮殿から2kmほど離れた山に、岩を掘って造られたウスペンスキー修道院や、洞窟住居チェフト・カレがあります。修道院ができたのは8世紀頃。幾度も異教徒に支配されながら、東方正教会の修行場として守られてきました。石灰岩の山肌を掘って住みかとしたのは5世紀頃からで、18世紀まで実際に人が住んでいたそう。一帯は深い谷とそそり立つ絶壁でボリショイ・キャニオンと呼ばれています。

ウスペンスキー修道院
ウスペンスキー修道院
ヘルソネス国立歴史建築野外博物館

クリミア半島の先端、セヴァストーポリ。地中海やエーゲ海から貿易船が寄港する要所で、紀元前6世紀頃には古代ギリシャの植民都市ヘルソネスが建設されました。城壁の中に神殿や円形劇場、教会、造幣所、ワイン醸造所などを擁した都市は、丸ごと広大な遺跡となっています。色石を多用したモザイク床など、数千年前のものとは思えない鮮やかさ。展示館では陶器などの出土品を見ることができます。

円形劇場跡
円形劇場跡
古代都市跡
古代都市跡
発掘された陶器
発掘された陶器
ヤルタ 帝政ロシア時代からのリゾート地
チェーホフの家博物館

晩年に結核を患った文豪は、温暖なヤルタで療養生活を送りながら「桜の園」「三人姉妹」などを書き上げました。「白いダーチャ(別荘)」と呼ばれる瀟洒な家には、友人のラフマニノフやゴーリキーらが頻繁に訪れたそう。またロシアの文豪トルストイも近所に別荘を構えており、チェーホフは当時珍しかった自宅の電話から憧れの大先生に電話したとか。チェーホフ自らが造園した庭には1年中花が香り、当地では珍しい竹や桜、柿の木も。日本を「奇跡の国」と呼び特別な思いを抱いていたチェーホフに、改めて親近感を覚えるはずです。

チェーホフと友人たち
チェーホフと友人たち
愛用の筆記具
愛用の筆記具
リバーディア宮殿

ロシア最後の皇帝ニコライ2世の別荘であり、1945年にヤルタ会談が行われた場所。会談の円卓、記念撮影をした中庭、ルーズベルトの寝室、3人で食事をした食堂などが、当時の写真や1945年2月13日のプラウダ紙とともに展示されています。2階は皇帝ゆかりの部屋。決して華美ではない上品な内装と、皇女自筆の絵やたくさんの家族写真が印象的。家族思いな一家の温かな暮らしぶりがしのばれます。

リバーディア宮殿
リバーディア宮殿
ヤルタ会談の様子
ヤルタ会談の様子
調印が行われたテーブル
調印が行われたテーブル
ツバメの巣

海へ突き出した断崖絶壁の突端に、ちょこんと乗っているようなシュールな光景。ヤルタを象徴する名所として、度々観光ポスターにもなっています。海から見ると、崖と城の基礎部分の隙間がさらに不安定なことこの上なく、これを見るだけでも黒海クルーズの価値があるかも。1912年にフォン・シュテンゲルというドイツの石油王が建てた館で、今は小さな博物館として使われています。

ツバメの巣
ツバメの巣
国営マサンドラ・ワイナリー

地中海性気候のクリミアでは、紀元前4世紀からワイン文化がありました。マサンドラ・ワイナリーは1894年創業で、品質も世界トップクラス。ビンテージワインの膨大なコレクションも有名で、幾多の革命や戦渦にも厳重に守られてきました。試飲会には、甘口のデザートワインを主とする10本が登場。ニコライ2世が好んだ1本、エリザベス女王が新年に飲まれる1本など、興味深い解説付きです。

10種類のワインが試飲できる
10種類のワインが試飲できる
1775年物からあるビンテージワイン
1775年物からあるビンテージワイン
ハルキフ ザポロージェ セヴァストーポリ ヤルタ