
![]() Photo:Getty Images/AFLO |
アメリカ・ニューヨーク郊外フラッシング・メドウズで開催されるその年最後のグランドスラム。緑や自然に囲まれたほかの3つのグランドスラム大会と異なり、ニューヨークの喧騒のさなかで開催される全米オープンテニス。 以前ほど頻繁ではないが、試合中に上空を通過する飛行機の騒音が聞こえたり、セレブリティが真夏の夜を過ごしにナイトセッションに数多く訪れるのも特徴のひとつ。またアメリカらしいエンターテインメントを重要視した趣向に富んだグランドスラム大会である。 そして圧巻は2万3千人以上を収容するセンターコート”アーサー・アッシュスタジアム”。世界最大のテニス会場で数々のドラマが生まれる。サーフェスはハードコート。 |
現在世界最大のテニス・イベントとして世界中に知れ渡るようになった全米オープンテニス。今ではアメリカ的エンターテイメント精神が溢れる大会として有名なこの大会ではあるが、1881年にアメリカ国内選手権として発足して以来、むしろ大会は上流階級向きの、言わば閉ざされた大会であった。その性格が大きく変わり、現在のエンターテイメント精神が注入されるようになるのは、1978年に会場が現在のニューヨーク郊外のフラッシング・メドウズに移されてからである。 1968年からスタートした全米オープンテニスの会場であったニューヨーク、クイーンズ地区のウェストサイド・テニスクラブは、チューダー調造りのクラブハウスを持つ由緒あるクラブであり、上級階級の会員にしか開放されていない閉鎖的なプライベートクラブであった。またそれ以上に、ウェストサイド・テニスクラブは年々増加する全米オープンテニスの観客を収容し切れなくなっており、新しい会場の確保が急務であった。 そこで1977年、当時USTA(アメリカ・テニス協会)の会長であったヘスターは、1939年と1964年に開かれた世界博覧会の跡地であったフラッシング・メドウに目をつける。何よりもヘスターの関心を引いたのが、世界博覧会のコンサート会場であり、偉大なジャズ奏者の名を冠した“ルイ・アームストロング・スタジアム”であった。ヘスターは荒れ放題だったフラッシング・メドウの地にわずか18ヶ月で近代的な会場を建設。このUSTAナショナル・テニスセンターを、フランスの“ローラン・ギャロス”に続くの公共クラブとして、全米オープンテニスの会場として定めた。 その日、大会初日の観客を迎えるブランスバンドの音色を聞きながら、ヘスターは大会記念樹を植樹し、その脇の記念碑には“この大会の成功を見届けよ”と、自らの言葉を刻みこんだ。 それ以降、大会は様変わりする。開放された公共クラブには数多くの観客が詰め掛けるようになり、2万席を誇るルイ・アームストロング・スタジアムを埋め尽くした。ナイトセッションでは仕事帰りの労働者たちが、ビールを片手に賑やかな応援を選手たちに投げかけた。 さらに1997年には2万3000席以上の客席を誇る世界最大のテニス・スタジアム、“アーサー・アッシュ・スタジアム”が華々しいセレモニーとともにオープンし、翌年には会場そのものが大幅に増築される。巨大なビデオ・スクリーン、バーやレストラン、そして広大なプラザでは鳴り止むことのないバンド演奏が、観客たちをもてなすようになった。 全米オープンテニスの会場である、フラッシング・メドウのUSTAナショナル・テニスセンター。そこにはもはや、かつてのウェストサイド・テニスクラブにはびこっていた、排他的な階級意識は見受けられず、世界中から押し寄せた多様な観客たちがニューヨークで開かれる晩夏の“エンターテイメント”を謳歌している。 |
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| 開催年 | 優勝 | 決勝スコア | 準優勝 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 1990 | ピート・サンプラス | 3 | 6-4 6-3 6-2 | 0 | アンドレ・アガシ |
| 1991 | ステファン・エドバーグ | 3 | 6-2 6-4 6-0 | 0 | ジム・クーリエ |
| 1992 | ステファン・エドバーグ | 3 | 3-6 6-4 7-6 6-2 | 1 | ピート・サンプラス |
| 1993 | ピート・サンプラス | 3 | 3-6 6-4 7-6 6-2 | 1 | セドリック・ピオリーン |
| 1994 | アンドレ・アガシ | 3 | 6-1 7-6 7-5 | 0 | ミハエル・シュティヒ |
| 1995 | ピート・サンプラス | 3 | 6-4 6-3 4-6 7-5 | 1 | アンドレ・アガシ |
| 1996 | ピート・サンプラス | 3 | 6-1 6-4 7-6 | 0 | マイケル・チャン |
| 1997 | パトリック・ラフター | 3 | 6-3 6-2 4-6 7-5 | 1 | グレッグ・ルゼツキー |
| 1998 | パトリック・ラフター | 3 | 6-3 3-6 6-2 6-0 | 1 | マーク・フィリポーシス |
| 1999 | アンドレ・アガシ | 3 | 6-4 6-7 6-7 6-3 6-2 |
2 | トッド・マーティン |
| 2000 | マラト・サフィン | 3 | 6-4 6-3 6-3 | 0 | ピート・サンプラス |
| 2001 | レイトン・ヒューイット | 3 | 7-6 6-1 6-1 | 0 | ピート・サンプラス |
| 2002 | ピート・サンプラス | 3 | 6-3 6-4 5-7 6-4 | 1 | アンドレ・アガシ |
| 2003 | アンディ・ロディック | 3 | 6-3 7-6 6-3 | 0 | ファン カルロス・フェレロ |
| 2004 | ロジャー・フェデラー | 3 | 6-0 7-6 6-0 | 0 | レイトン・ヒューイット |
| 2005 | ロジャー・フェデラー | 3 | 6-3 2-6 7-6(7-1) 6-1 |
1 | アンドレ・アガシ |
| 2006 | ロジャー・フェデラー | 3 | 6-2 4-6 7-5 6-1 | 1 | アンディ・ロディック |
| 2007 | ロジャー・フェデラー | 3 | 7-6(4) 7-6(2) 6-4 | 0 | ノバク・ジョコビッチ |
| 2008 | ロジャー・フェデラー | 3 | 6-2 7-5 6-2 | 0 | アンディ・マレー |
| 開催年 | 優勝 | 決勝スコア | 準優勝 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 1990 | ガブリエラ・サバティーニ | 2 | 6-2 7-6 | 0 | シュテフィ・グラフ |
| 1991 | モニカ・セレス | 2 | 7-6 6-1 | 0 | マルチナ・ナブラチロワ |
| 1992 | モニカ・セレス | 2 | 6-3 6-3 | 0 | アランチャ・サンチェス |
| 1993 | シュテフィ・グラフ | 2 | 6-3 6-3 | 0 | ヘレナ・スコバ |
| 1994 | アランチャ・サンチェス | 2 | 1-6 7-6 6-4 | 1 | シュテフィ・グラフ |
| 1995 | シュテフィ・グラフ | 2 | 7-6 0-6 6-3 | 1 | モニカ・セレス |
| 1996 | シュテフィ・グラフ | 2 | 7-5 6-4 | 0 | モニカ・セレス |
| 1997 | マルチナ・ヒンギス | 2 | 6-0 6-4 | 0 | ヴィーナス・ウイリアムズ |
| 1998 | リンゼイ・ダベンポート | 2 | 6-3 7-5 | 0 | マルチナ・ヒンギス |
| 1999 | セレナ・ウイリアムズ | 2 | 6-3 7-6 | 0 | マルチナ・ヒンギス |
| 2000 | ヴィーナス・ウイリアムズ | 2 | 6-4 7-5 | 0 | リンゼイ・ダベンポート |
| 2001 | ヴィーナス・ウイリアムズ | 2 | 6-2 6-4 | 0 | セレナ・ウイリアムズ |
| 2002 | セレナ・ウイリアムズ | 2 | 6-4 6-3 | 0 | ヴィーナス・ウイリアムズ |
| 2003 | ジュスティーヌ・エナン アルデンヌ |
2 | 7-5 6-1 | 0 | キム・クライシュテルス |
| 2004 | スベトラーナ・グズネツォワ | 2 | 6-3 7-5 | 0 | エレナ・デメンティエワ |
| 2005 | キム・クライシュテルス | 2 | 6-3 6-1 | 0 | メアリー・ピアス |
| 2006 | マリア・シャラポワ | 2 | 6-4 6-4 | 0 | ジュスティーヌ・エナン アルデンヌ |
| 2007 | ジュスティーヌ・エナン | 2 | 6-1 6-3 | 0 | スベトラーナ・クズネツォワ |
| 2008 | セレナ・ウイリアムズ | 2 | 6-4 7-5 | 0 | エレナ・ヤンコビッチ |