デビスカップ、竹内監督の退任に思うこと
2012/02/22

デ杯敗退直後、辞意を表明した竹内監督(写真右)。錦織圭(写真左)ら若手を抜擢し、日本を27年ぶりのワールドグループ復帰へ導いた。(写真提供:Getty Images)
先日のデビスカップで日本がクロアチアに敗れた直後の記者会見で、2005年からチームを牽引してきた竹内映二監督が辞意を表明した。唐突な印象を受けるかもしれないが、本当は昨年で退くつもりだったという。監督の気持ちをなんとかつなぎ止めたのは、「一緒にワールドグループを戦いたい」というチームスタッフの強い願いだった。私自身がそのことを監督の口から聞いたのは全豪オープンのさなかだったが、今年いっぱいは続けるものと思っていたので、このタイミングでの退任には多少驚いた。「同じ監督があまり長くやるというのもよくない。自分の仕事は果たせたと思うので、これを機に次の監督にバトンタッチしようと思っています」
自分の仕事、というのはチームの「世代交代」だった。
竹内監督が就任した2005年は、チームの“高齢化”が進んでいるときで、当時28歳の鈴木貴男をエースとし、シングルスのもう一本の柱だった本村剛一は31歳、ダブルス・スペシャリストのトーマス嶋田も30歳になっていた。監督就任にあたって次の世代を見渡し、「添田(豪)以外の若手が誰もいないという現実に愕然とした」と言った竹内監督の言葉が強く耳に残っている。その頃、まだ世界ランキング400位台だった20歳の添田をすぐメンバーに招いたことは、竹内監督の「焦り」と「決意」の表れだったのだろう。
今、日本チームは監督が「3、4年先を見ていてください」と胸を張るだけの若いチームに生まれ変わった。22歳の錦織圭に、23歳の伊藤竜馬と杉田祐一。添田は27歳になったが、今まさに円熟期を迎えている遅咲きは世界ランクも自己最高を更新中だ。その添田が、「監督と一緒に悔しい思いを何度もしてきた。思い出がたくさんあります」と語ったように、希望と失望を繰り返しながら戦ってきた年月だった。そして、ようやく成し遂げた夢のワールドグループだったのに、そのベンチに座ることなく退こうとした竹内監督の胸中にはいったい何があったのか。
ヒントを探ろうと、今残る悔いについて聞いた。「悔いの残ることはいっぱいあります。初日の(錦織)圭をなんとか盛り上げて勝ちに導けなかったか、最終試合でも添田の力をもっと引き出せたんじゃないか…勝てなくても、例えば初日の圭がもう1セット余分にやらせていれば、昨日のダブルスにもう1セットやる力があれば、そうなるように僕にアドバイスする力がもう少しあれば、相手を疲れさせたりプレッシャーをかけたりすることができた。そういう小さなことの積み重ねで勝敗は決まると思うんです」
聞きながら、元フェドカップ監督だった小浦武志さんの話をふと思い出した。小浦さんは団体戦における責任の分担の必要性を話したことがあった。「選手の仕事はコート上でベストを尽くすこと。それができる環境、勝つための最善の環境を整えることが協会の仕事。そして、結果に対する責任は全て監督が取らなくてはいけない」。
竹内監督は「悔い」の中で、敗戦の責任をほぼ一人で被っていた。では、協会は今回「勝つための最善の環境」を用意しただろうか。会場は昨年の夏にウズベキスタンを破ってワールドグループ・プレーオフ進出を決めたときと同じ兵庫県三木市のブルボンビーンズドーム。日本テニスのメッカである有明コロシアムは、ちょうど修復工事の最中で使えなかったという。といってもスタジアムが生まれ変わるような工事ではないそうだ。施設運営側との連係が行き届いていれば、錦織と日本チームの勢いを昨年の早い時期から嗅ぎ取って、ワールドグループ入りを信じて準備していれば、回避できた問題ではないか。空調設備のないビーンズドームは、夏は蒸し暑く、冬は底冷えがする。そして交通の便も非常に悪い。百歩譲ってこれらには目をつぶったとしても、仮設スタンドを入れても2400という席数は話にならなかった。27年ぶりのワールドグループでの戦いに、東京の有明コロシアムを用意してやれなかったこと、満場の1万人で選手たちを後押ししてやれなかったことを、果たして協会はどれほど「悔い」ているのだろうか。
会場にやって来たファンに罪はない。ネットオークションでは知る限りでもチケットが3万円の高額で取引されていたから、そうまでして手に入れた人もいたわけだ。心底テニス好きの、デ杯サポーターもいただろう。けれど、最終日に錦織の試合が終わった後、空席が目立ったのも事実。2対2で迎えた、ドームが熱狂の渦となるべき最終試合である。本当のテニスファンなら、これを見ずして席を立てるわけがない。
錦織の試合が終わった後のオンコートインタビューで竹内監督は、「皆さんの応援の力が必要です!」と観客席に訴えていた。竹内監督は観客の力を知っている。大きな会場の持つ力も知っている。日本がドイツを破る奇跡の勝利を遂げた1996年のフェド杯で、すでに決まっていた地方での開催を覆し、会場を有明に持ってきたのは竹内さんら当時のナショナルコーチたちだった。「有明を満員に」を合い言葉に、チケットを売りさばいたのも竹内さんたちだ。
この戦いの「舞台」には、誰よりもこだわったはずだった。それが叶わなかった日本テニス界の体質と、今回の退任とが全く無関係だとは思えない。
プロフィール

- 山口 奈緒美[やまぐち なおみ] フリーライター
- 1969年生まれ。和歌山県出身。ベースボール・マガジン社『テニスマガジン』編集部を経て97年よりフリーに。02年よりスポーツニッポン新聞社通信員。テニス専門誌やスポーツ情報誌、テニス関連サイトで大会レポートやコラムなどを定期的に執筆。99年以降グランドスラム大会はすべて現地で取材し続けている。











