25th

WOWOW

PC版

ご加入はこちら

Excite Match エキサイトマッチ~世界プロボクシング スペシャルページ

コラム

バックナンバーを開く▼

その他

バックナンバーを開く▼

コラム / 海外ボクシングコラムVol.92

<世界のトップボクサー>
パッキャオとスパーリングで切磋琢磨
ルスラン・プロボドニコフ(ロシア)II

2013年を迎えたとき、プロボドニコフはWBOではS・ライト級2位、WBCでは16位に名を連ねていたが、WBAとIBFではノーランクだった。いわば世界的には無名に近い存在だったといってもいいだろう。
ところが、この1年で急激に知名度を上げ、いまやスター戦線に割って入るまでになりつつある。2014年にはどんな活躍をみせるのか楽しみだ。

23歳の誕生日を1ヵ月後に控えた06年12月、プロボドニコフは自国ロシアのエカテリーナブルグで4回判定勝ちを収め、プロ初陣を飾った。4ヵ月後の3戦目では初めてアメリカのリングに上がり、1回KO勝ちを収めている。その後はロシアとアメリカで交互に試合をすることになる。これはバナー・プロモーションズを主宰するアーチー・ペルーロ・プロモーター(アメリカ)に見出されたためで、のちの世界王者にとって大きな転機になったことは間違いない。

プロボドニコフはまずは順調に成長を続けてきたといっていだろう。10年2月には元IBF世界ライト級王者ハビエル・ハウレギ(メキシコ)に8回TKO勝ちを収め、11年12月には同じく元WBO世界S・ライト級王者デマーカス・コーリー(アメリカ)にも12回判定勝ちを収めている。そんななか勝利を掴めなかったのは11年1月のマウリシオ・エレラ(アメリカ)との試合だけだった。IBF北米S・ライト級王座決定戦として行われたこの試合、プロボドニコフは激しいパンチの交換を続けたが、116対112(二者)、115対113の小差で判定負けを喫している。エレラの左目は塞がり、プロボドニコフの右目下は切れ、さらに両者の顔面が大きく腫れ上がるという激闘だった。識者のなかには判定に首を傾げる者もいたほどの接戦だった。
2012年、プロボドニコフにさらなる転機が訪れる。6月にティモシー・ブラッドリー(アメリカ)との対戦を控えた6階級制覇王者マニー・パッキャオ(フィリピン)のスパーリング・パートナーに抜擢されたのだ。プロボドニコフはフィリピンに飛んでパッキャオとジムで拳を交えた。4~5ラウンドのスパーリングを週に3度行い、試合1ヵ月前にはロサンゼルスに移動してフレディ・ローチ・トレーナーが主宰するワイルドカード・ジムで最後の調整に協力した。ふたりのスパーリングは合計で50~60ラウンドに及んだという。「彼とのスパーリングで、もっと圧力をかけること、もっとパワーを身に着ける必要性を実感した」とプロボドニコフは語っている。ローチ・トレーナーとの出会いが大きなプラス効果をもたらしたことも付記しておく必要があるだろう。

しかし、皮肉なことに12年6月にパッキャオはブラッドリーに際どい判定負けを喫し、13年3月にはプロボドニコフも挑戦した。1階級上げて臨んだ大舞台だったが、ダウンを奪いながらもブラッドリーに惜敗し、兄弟子の仇討とはならなかった。プロボドニコフがマイク・アルバラード(アメリカ)に10回終了TKO勝ちを収め、WBO世界S・ライト級王座を獲得したのは、そのブラッドリー戦から7ヵ月後のことだった。

頑丈な体を利して圧力をかけ、一歩も引かずに勇敢にパンチを交換する好戦的な戦闘スタイルは多くのファンから支持を得ている。

ブラッドリー、ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)、そしてパッキャオといった中量級の大物たちとの対戦も噂されているが、プロボドニコフは「パッキャオとは戦わない」と断言している。となると最大の興味はブラッドリーとの再戦ということになりそうだ。

2014年、ロシアのファイティング・マシーンの動向に要注目だ。


Written by ボクシングライター原功

ルスラン・プロボドニコフ

ルスラン・プロボドニコフ

©NAOKI FUKUDA

▲ページTOPへ

blank