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コラム / 海外ボクシングコラムVol.91

<世界のトップボクサー>
ロシアのファイティング・マシン
ルスラン・プロボドニコフ(ロシア)I

ボクサーにとっての1年は大きな変化を遂げるに十分な時間といえる。このルスラン・プロボドニコフ(ロシア)は、昨年のいまごろは世界的には無名に近かったが、現在はWBO世界S・ライト級王座に君臨。マニー・パッキャオ(フィリピン)らトップ選手の対戦候補として名前が挙がるまでになっている。今回は、そんなタフで好戦的なロシアのファイティング・マシンの半生を紹介しよう。

プロボドニコフは1984年1月20日、ロシアのハンティマンシ自治管区にあるベレゾヴォという所で生まれた。7500人ほどの人が暮らす小さな村で、モスクワに行くのに10時間を要する場所だった。プロボドニコフは姉ひとりと妹ひとりに挟まれた長男だった。父親は車の技術者だったという。「ベレゾヴォは氷の国みたいな所で、本当に寒いんだ。一方は森林で、もう一方は川という地形で、冬は雪に閉ざされてしまう。春と秋は道が凍ってしまうので車がつかえないため、交通手段は小型飛行機だけになってしまう」のだとか。

そんな地で、のちの世界王者がボクシングを始めたのは10歳のときだった。街でも学校でもケンカ好きだったプロボドニコフ少年を父親がジムに連れて行ったのだ。ふたつの拳で殴り合う競技が性に合っていたのだろう、プロボドニコフは十代半ばで早々と頭角を現した。便の悪いベレゾヴォから大会の行われる各地に向かうのには時間も費用もかかったが、これと思う大会には参加して腕試しをした。16歳で出場した2000年のロシア・ジュニア選手権では105ポンド(約47.6キロ)のクラスで優勝を飾り、その勢いのままギリシャで開催されたヨーロッパ大会でも優勝を収めた。翌01年にもロシアの大会で優勝し、03年には卓抜した技量の持ち主に与えられる「マスター・オブ・ボクシング」の称号をロシア・スポーツ・コミッションから授かった。

世界選手権やオリンピックとは縁がなかったが、プロボドニコフはアマチュアで約150戦をこなし、約130の勝利と約20の敗北を経験した。

プロ転向は06年12月のこと。23歳の誕生日を1ヵ月後に控えたときだから、決して早い船出とはいえなかった。ロシアのエカテリーナブルグで行われたデビュー戦で4回判定勝ちを収めたプロボドニコフは、2ヵ月後の試合では2度のダウンを奪って2回TKO勝ち。こうしてプロとして上々のスタートを切ったのだった。


Written by ボクシングライター原功

ルスラン・プロボドニコフ

ルスラン・プロボドニコフ

©NAOKI FUKUDA

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