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コラム / 海外ボクシングコラムVol.90

<世界のトップボクサー>
無人の野を突っ走る「鋼鉄の拳」
ウラディミール・クリチコ(ウクライナ)II

5歳上の兄ビタリとともに90年代終盤から現在までヘビー級シーンの中心にいるのが、WBA、IBF、WBO3団体統一王者ウラディミール・クリチコ(ウクライナ)である。
06年4月に返り咲きを果たしてからは、実に15度の防衛を果たしている。「スティール・ハンマー」(鋼鉄の拳)は、37歳になったいまも錆びる気配をみせない。

ドイツのウニベルスム・ボックス・プロモーションズと契約を交わしたクリチコ兄弟は、96年11月16日、ドイツで揃ってプロデビュー戦に臨んだ。兄ビタリが2回KO、弟ウラディミールが1回KO勝ちだった。

プロでも先に出世を果たしたのはビタリだった。3年後の99年にWBO世界ヘビー級王座を獲得したのである。戴冠試合を含めた25戦すべてKO勝ちという凄まじさだった。これに対しウラディミールは98年12月、奇しくも25戦目で伏兵ロス・ピュリティ(アメリカ)に11回TKO負けを喫している。スタミナ配分を誤ったすえの自滅だった。

2000年4月、ビタリが肩を痛めてクリス・バード(アメリカ)にWBO王座を奪われると、半年後にはウラディミールが兄の仇討を果たして王座を獲得。兄弟で世界ヘビー級王座に就くという快挙を成し遂げた。ちなみに翌年、ビタリがピュリティに11回TKO勝ちを収め、今度は弟の敵討ちを果たしている。

24歳で世界王者になったウラディミールは5連続KO防衛を果たしたが、03年にサウスポーのコーリー・サンダース(南アフリカ共和国)の強打を浴びてダウンを繰り返し、2回TKO負け。在位は2年半に終わった。翌04年4月、WBOの王座決定戦のチャンスが回ってきたが、ここでもレイモン・ブリュースター(アメリカ)に5回TKO負け。ここに至り「ウラディミールはアゴが脆い」「精神的に弱い」という評価が定着してしまった。

弟が低迷するなか兄ビタリはひと足先に王座返り咲きを果たす。04年4月、弟を破ったサンダースとの決定戦で8回TKO勝ちを収め、WBC王座を獲得したのだ。ウラディミールが兄に続いたのは2年後、06年4月のことだった。IBFで返り咲きを果たしたのである。それまではすれ違いだった在位が一致し、初めて同時に王座を保持することとなったのだ。

ビタリは膝の故障で4年のブランクをつくったものの08年には3度目の王座を獲得。一方、ウラディミールは統一戦でWBO王座とWBA王座を吸収するなど高度安定期を迎えた。13年10月には最後の敵と目されたWBAのレギュラー王者アレクサンデル・ポベトキン(ロシア)にも圧勝した。その試合では約17億円の報酬を得ている。

世界戦だけでも24戦をこなし22勝(17KO)2敗を記録している。山中慎介(帝拳)のプロ全試合数(22戦20勝15KO2分)よりも多いのだから、数字でも息の長さと強さは証明されているといえよう。いまや以前の脆さは消え、強さと巧さだけがクローズアップされるようになった。その一方、「ウラディミールの試合はいつもワンサイドでエキサイティングではない」という辛辣な意見もある。ただし、その責任の多くは対戦相手にこそ求めるものであろう。それだけウラディミールが際立って強いということだ。

身長約200センチ、リーチ206センチ、体重約110キロ。戦績は64戦61勝(51KO)3敗。16度目の防衛戦は14年3月、「鋼鉄の拳」の38歳の誕生日(3月25日)前後に計画されている。


Written by ボクシングライター原功

ウラディミール・クリチコ

ウラディミール・クリチコ

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