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コラム / 海外ボクシングコラムVol.89

<世界のトップボクサー>
7年半に15度の防衛を重ねる「鋼鉄の拳」
ウラディミール・クリチコ(ウクライナ)

かつて「地上最強の男」の別称でもあった世界ヘビー級王座は、ほとんどの時代でアメリカが支配していた。1920年代のジャック・デンプシー、第2次世界大戦前後のジョー・ルイス、50年代のロッキー・マルシアノ、そして60年代~70代のモハメド・アリ。その後もラリー・ホームズの時代を経てマイク・タイソン、イベンダー・ホリフィールドへと受け継がれてきた。

ところが、90年代初頭にソビエト連邦が解体すると状況は一変。ロシアをはじめウクライナやカザフスタンなどの旧ソ連勢が席巻するようになったのだ。その代表格がビタリ&ウラディミールのクリチコ兄弟である。今回は、06年4月の再戴冠後、7年半に15度の防衛を重ねているWBA、IBF、WBO世界ヘビー級チャンピオン、「スティール・ハンマー」(鋼鉄の拳)ウラディミール・クリチコ(37=ウクライナ)の半生を紹介しよう。

クリチコ兄弟の国籍はウクライナだが、ふたりの生地は異なる。兄のビタリ(42歳)はキルギスタン、弟のウラディミールはカザフスタンの出身なのだ。ともにソ連の軍隊の幹部だった父親の赴任地で生まれたが、両国が独立したため、あと付けとして異なる国で誕生したことになったわけだ。

最初に格闘技に興味を抱いたのはビタリだった。15歳のときに空手を習い始め、ほどなくしてキックボクシングも始めた。92年には空手の世界大会に出場するため来日。それ以来、大の親日家になったのだという。「日本の人は親切で優しかった」と異国での数日間の印象を語っている。兄にならってウラディミールも親日家で、挨拶程度の日本語を話せるほどだ。兄弟はそろって寿司が好物だという。

9年前、アメリカで兄弟を取材した際には「マグロ、サーモン、卵焼き、ウナギ……なんでも大好きさ。巻物なら30本ぐらいは食べられるよ」と話していたものだ。

ビタリは国際式のボクシングを18歳でスタートした。こうした兄の影響を受けウラディミールは十代半ばで本格的にボクシングの練習を始めた。

ふたりはボクシングに強い興味を示す一方、勉学にも励んだ。大学では最先端のスポーツ科学を学び、ドクター(博士)の称号も手にしている。絵に描いたような文武両道である。

当然のことながらボクシングで先に頭角を現したのは5歳上の兄ビタリだった。世界選手権に出場したり軍隊の世界大会で優勝したりと、顕著な実績を残すようになったのだ。96年のアトランタ五輪への出場はもちろんのこと、メダルの期待もかかる活躍ぶりだったが、折り悪くビタリは地域予選を前に体調を崩してしまう。そこで兄に代わりに予選に出場したのがウラディミールだった。すでに世界選手権で準優勝を収めていたウラディミールは五輪出場権を獲得し、本戦でも4勝をあげて金メダルを獲得してみせた。まだ20歳という若さだった。

五輪が終わるとふたりはドイツのウニベルスム・ボックス・プロモーションズと契約を交わし、生活の拠点をハンブルグに移して96年11月16日にプロデビューを果たす。ホリフィールドがタイソンを11回TKOに下し、世界ヘビー級王座を奪った1週間後のことだった。


Written by ボクシングライター原功

ウラディミール・クリチコ

ウラディミール・クリチコ

©NAOKI FUKUDA

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