25th

WOWOW

PC版

ご加入はこちら

Excite Match エキサイトマッチ~世界プロボクシング スペシャルページ

コラム

バックナンバーを開く▼

その他

バックナンバーを開く▼

コラム / 海外ボクシングコラムVol.87

<世界のトップボクサー>
世界を席巻するキューバのサイクロン
ユリオルキス・ガンボア(キューバ)

70年代以降、キューバはアマチュアのボクシング界で世界のトップを走り続けている。近年は陰りが見えてきたとはいえ、世界の一大勢力であることに変わりはない。しかし、1959年の革命後はプロスポーツを認めていないため、亡命という強硬手段でプロに転じる選手が少なくない。S・バンタム級のWBA・WBO王者ギジェルモ・リゴンドーは、その典型といえる。そして、ユリオルキス・ガンボア(31)も、故国を捨てて成功を収めた選手といえる。

ガンボアは1981年12月23日、キューバの東部、米軍基地があることで知られるグアンタナモで生まれた。きょうだいは男3人、女2人。父親のカルロスはナショナル・チームに属していたこともあるトップ・ボクサーで、国から支給される特別給与で一家は生計を立てていた。

のちの五輪王者にしてプロ3階級制覇者は7歳でボクシングを始めた。ガンボアは「もの心つくころから父親の練習を見ていたので、自然と自分もトレーニングをするようになった」と回想している。「生家がホエル・カサマヨル(92年バルセロナ五輪バンタム級金、プロでもS・フェザー級とライト級で王座獲得)の家と近かったので、父親が彼と一緒に練習していたのを記憶している」という。

ガンボアが頭角を現すのは早かった。キューバのナショナル・チームは「ラ・フィンカ(農場)」と呼ばれる施設で共同生活をすることになっているが、ガンボアは17歳でメンバーに加わったほどだった。層の厚いことで知られるキューバだが、ガンボアは第一人者ヤン・バルテレミを破って18歳でL・フライ級の国内選手権を制覇。01年と02年はバルテレミに敗れて2位に甘んじたが、03年にはフライ級で優勝。国家代表となって世界選手権にも出場した(3回戦敗退)。翌04年、22歳で出場したアテネ五輪では接戦を勝ち抜いて金メダルを勝ち取った。11階級が実施されたこの大会、キューバはL・フライ級のバルテレミ、フライ級のガンボア、バンタム級のリゴンドー、ライト級のマリオ・キンデラン、そしてヘビー級のオドラニエル・ソリスの5人が金メダルを獲得している。

五輪後、体が大きくなったガンボアは絶対王者リゴンドーがいるバンタム級を飛び越して一気にフェザー級にアップ。05年には世界選手権3位、06年には国内選手権を制し、ワールドカップでも優勝、フェザー級でも世界トップの実力があることを証明した。しかし折り悪く、経済状況が芳しくないキューバは以前のような報奨をトップ選手たちに保障できなくなっていた。

こうしたなかガンボアはバルテレミ、ソリスとともに亡命を企てる。キューバのナショナル・チームの一員としてベネズエラに遠征した際、コロンビア経由で米国マイアミに渡ることに成功した。06年12月のことである。その裏にはドイツのアレナ・ボックス・プロモーションの手引きがあったと言われている。245戦230勝15敗(144戦122勝19敗3分説もある)のアマ戦績を残し、ガンボアはプロとしてスタートを切ることになる。


Written by ボクシングライター原功

ユリオルキス・ガンボア

ユリオルキス・ガンボア

©NAOKI FUKUDA

▲ページTOPへ

blank