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コラム / 海外ボクシングコラムVol.83

<世界のトップボクサー>
17年間負け知らずの「神の子」
アンドレ・ウォード(アメリカ)

オリンピックで金メダルを獲得し、プロ転向後は世界チャンピオンに――アンドレ・ウォード(29=アメリカ)は、そんな絵に描いたようなエリート路線を歩んでいる。今回は、96年を最後に17年間も敗北を知らないWBA世界S・ミドル級スーパー王者、WBC同級名誉王者ウォードの半生を紹介しよう。

ウォードは1984年2月23日、カリフォルニア州サンフランシスコで生まれた。ボクシングを始めたのは9歳のときだった。アマチュアで15戦全勝の戦績を残した父親のフランクに連れられ、空手とボクシングのジムに行ったのが契機になった。練習を始めた少年の才能に気づいたのは、いまもウォードのトレーナーを務めるバージル・ハンター氏だった。類まれな能力を秘めたウォードにハンター氏は自らの知識と技術を惜しみなく伝授していった。

才能の開花は早く訪れ、ウォードは01年に17歳で全米選手権のミドル級で優勝を収め、03年にはライト・ヘビー級でも全米選手権を制覇した。その流れに乗り04年のアテネ・オリンピックにも出場し、当然のように金メダルを獲得してみせた。1回戦シードのウォードは2回戦で17対9、3回戦は23対16で快勝。準決勝は17対15の小差の勝利だったが、決勝では20対13という明確な差をつけて優勝を収めた。アマチュアの戦績は120戦115勝5敗(114勝5敗説もある)。12歳だった96年に敗北を喫してからアマ、プロを通じて17年間も負け知らずというから驚きだ。

こうした華々しい活躍の一方、私生活では悲しいできごとがあった。02年に父親フランクが逝去したのだ。以来、ハンター・トレーナーがウォードの父親役も担っている。嬉しいこともあった。ティファニー夫人との間にアンドレ・ジュニア(02年生まれ)、次男マラチ(03年生まれ)を授かったのだ。その後、08年には長女アミラ・レシアンも誕生している。

ダン・グーセン・プロモーターと契約を交わしてプロ転向を果たしたのは04年12月のことだった。初陣を2回TKO勝ちで飾ったウォードは、これを機に新たな伝説を築いていくことになる。


Written by ボクシングライター原功

アンドレ・ウォード

アンドレ・ウォード

©NAOKI FUKUDA

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