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コラム / 海外ボクシングコラムVol.77

<世界のトップボクサー>
アマ、プロで頂点を極めたキューバの天才
ギジェルモ・リゴンドー(キューバ)

去る4月13日、米国ニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールでスーパー・バンタム級の王座統一戦が行われた。4階級制覇の実績を持つWBO王者ノニト・ドネア(フィリピン)が2対1のオッズどおり有利と見られていたカードだが、蓋を開けてみればリゴンドーのスピードと技術が際立っていた。今回は、ドネアに代わって「軽量級最強」の称号を手にした32歳の天才サウスポーの半生を振り返ってみよう。

カリブ海に浮かぶキューバは約半世紀前の革命で社会主義国家となり、前後してプロ競技は禁止された。反面、アマチュア競技は国家主導で強化に取り組み、五輪や各種の世界大会では顕著な実績を残してきた。とりわけボクシングはキューバの十八番ともいわれ、革命後の五輪では金メダルを量産してきた。72年のミュンヘン大会で金3個を獲得したのに始まり76年モントリオール大会=金3、80年モスクワ大会=金6、92年バルセロナ大会=金7、96年アトランタ大会=金4、2000年シドニー大会=金4、04年アテネ大会=金5、08年北京大会=金0、12年ロンドン大会=金2と、参加した9大会で計34個も獲得している。いかにキューバが飛び抜けた存在であるかが分かるであろう。

こうした世界的エリート集団のなかでも「キューバ史上最も優れた選手」といわれているのがリゴンドーである。ちなみに上記の金34個のうち2つはリゴンドーが勝ち得たものでもある。

リゴンドーは1980年9月30日、同国南東部のサンティアゴ・デ・クーバで生まれた。リゴンドーのほかに男3人、女3人の兄弟姉妹がいるという。父親がコーヒー栽培の仕事をしていたため、リゴンドーもいずれは農業に従事するものと思っていたという。

そんなリゴンドーがボクシングを始めたのは13歳のときだった。周囲にボクサーがいなかったので、本人は「閃きのようなもの」と話している。やはり天賦の才に恵まれていたのだろう、生来のサウスポーは早くから頭角を現した。17歳のときには国家のトップグループに入り、「ラ・フィンカ」(農場)と称されるエリートを集めた施設で生活するまでになった。

初の五輪出場は2000年のシドニー大会で、ここで金メダルを獲得すると翌年の世界選手権でも優勝。02年のワールドカップ、さらに04年のアテネ五輪でも金メダルを獲得した。

さらに05年のワールドカップ、世界選手権も制覇。キューバの国内選手権では2000年から06年まで7年連続で優勝を収めた。アテネ五輪フライ級金メダリストのユリオルキス・ガンボア(キューバ)が、バンタム級を飛び越えて一気にフェザー級に上げたのは、バンタム級にリゴンドーがいたからと伝えられる。それほどの強さを誇っていたわけだ。リゴンドーのアマチュア戦績に関しては400戦以上して12敗というものや、386戦374勝12敗という資料もあるが、リゴンドーと契約を交わしているトップランク社がメディアに配布するプレスキットには「247戦243勝4敗」と記されている。

カストロ政権に綻びが見え始めた90年代から亡命してプロ転向を果たすキューバ人ボクサーが目立ち始めた。92年バルセロナ五輪金のホエル・カサマヨルをはじめ、04年アテネ五輪金トリオ、ライトフライ級ヤン・バルテレミ、ヘビー級オドラニエル・ソリス、そしてガンボアも亡命してプロに転じていた。国が約束した報奨や報酬が滞るようになったのが一因といわれている。

07年7月、ブラジルで開催されたパンナム大会の際、リゴンドーもプロ転向を前提に亡命を企てた。


Written by ボクシングライター原功

ギジェルモ・リゴンドー

ギジェルモ・リゴンドー

©NAOKI FUKUDA

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