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コラム / 海外ボクシングコラムVol.69

<世界のトップボクサー>
パッキャオを打ち砕いた「ダイナマイト」
ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)

この10年、思い切りのいい攻撃ボクシングで多くのファンを魅了してきた6階級制覇王者マニー・パッキャオ(フィリピン)。その最強のライバルがマルケスだ。両者の因縁は8年におよび、マルケスは昨年12月、4度目の対決にして初めて宿敵を超えることができた。

<世界のトップボクサー>第2回は、「ダイナマイト」の異名を持つ39歳の万能型強打者、WBO世界スーパー・ライト級王者ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)を紹介しよう。

マルケスは1973年8月23日、男3人、女5人の8人きょうだいのひとりとしてメキシコシティで生まれた。西岡利晃(帝拳)と戦ったこともある元2階級制覇王者ラファエル・マルケスは2歳下の弟だ。元プロボクサーの父親ラファエル・シニアは息子たちにもボクシングを勧め、その影響でマルケスは8歳のときにジムに通い始めた。そこで出会ったナチョ・ベリスタイン・トレーナーとの師弟関係は、30年以上経ったいまも継続中だ。

13歳でアマチュアのリングに上がるようになったマルケスは、ほとんどの試合で勝利を収めた。アマチュア戦績は36戦35勝1敗というみごとなものだ。

当初、マルケスは17歳でプロ転向を希望したが、そんな折りに脊髄を傷めてしまう。そのため3年近い年月を棒に振ることになってしまった。

20歳の誕生日を3ヵ月後に控えた93年5月、マルケスはメキシコシティでプロ転向を果たした。しかし、結果はバッティングの反則による1回失格負けだった。脊髄の負傷や初陣の敗北など、のちの4階級制覇王者の10代後半は意外にも散々だったのである。

97年、23歳のときに北米フェザー級王座を獲得。その後も強豪を次々に下して世界ランキングを駆け上がっていったが、なかなか挑戦の機会は巡って来なかった。マルケス陣営はWBO王者ナジーム・ハメド(イギリス)への指名挑戦権をアピールしたが、その都度はぐらかされてしまった。ハメドにしてみれば、30戦29勝(22KO)1敗の「ダイナマイト」はリスクの高い極めて危険な相手として映ったのだろう。世界の上位に名を連ねながらも約2年、マルケスは挑戦の機会を逃してきた。

マルケスが"無冠の帝王"の称号を返上する機会は99年9月に訪れたが、フレディ・ノーウッド(アメリカ)に際どい判定負けを喫してしまった。ダウン応酬の激闘だったが、WBAのフェザー級王座を獲得することはできなかった。

デビューから10年が経とうかという03年2月、マルケスはマヌエル・メディナ(メキシコ)を芸術的なコンビネーションで倒しIBF世界フェザー級王座を獲得した。やっと自分の時代が到来したと思ったのも束の間、マルケスの前に新しいライバルが立ち塞がった。フライ級から上げてきたマニー・パッキャオ(フィリピン)である。


Written by ボクシングライター原功

ファン・マヌエル・マルケス

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