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コラム / 海外ボクシングコラムVol.52

リードを知って逃げ切りを図った王者
~ ボクシング基礎講座 ~
採点公開制の歴史

1999年3月の世界ヘビー級王座統一戦を契機にWBA、WBC、IBF3団体が試験的に採り入れたオープン・スコアリング・システム(採点公開制)だが、問題も多かった。

統括団体の老舗WBAは、サンプルケースとしてフランスのパリで開催された世界戦の際、各ラウンドが終了するたびにジャッジ3人の採点を公表した。しかし、アナウンスが次のラウンドにずれこむなど手際の悪さが目立った。
一方、WBCとIBFはアメリカで開催された世界戦でテストを行った。前半4ラウンド終了時と中盤8ラウンド終了時の2回、途中で採点を公開したのだ。
ところがIBFの世界戦では8ラウンドまでに大量リードをしていると知った選手が、残りの4ラウンドを安全運転に切り換えたため、会場は白けたムードに包まれてしまった。これこそが関係者が最も憂慮していたことだった。試合途中で優劣を明らかにしたことで真剣勝負の醍醐味、スリル、興味が削がれてしまったのである。

こうしたなか、ボクシングの聖地ラスベガスのスポーツ・イベントを管理するネバダ州アスレチック・コミッションが採点公開制の採択を否決した。「マイナス要因が多すぎる」と判断したのである。WBCも採用を見合わせることになった。WBAとIBFも歩調を合わせた。
こうしていったんは葬られた採点公開制が再び検討されることになったのは2006年のことだった。WBCの年次総会で討議されたのである。
このときも直前の世界戦の採点が問題視された。3人のジャッジの見解、採点が極端に食い違う試合が続いたため、競技の信用性や存続に関係者が再び危機感を抱いたのだ。結局、WBCは総会で採点公開制ルールの採択を決定したが、実行に関しては国や地域などの管轄コミッションの判断に委ねるとした。

再テストケースとして最初に選ばれたのは2006年11月13日、日本武道館で開催されたダブル世界戦――長谷川穂積対ヘナロ・ガルシア(メキシコ)のWBC世界バンタム級タイトルマッチ、イーグル京和対ロレンソ・トレホ(メキシコ)のWBC世界ミニマム級タイトルマッチだった。


Written by ボクシングライター原功

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