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コラム / 海外ボクシングコラムVol.41

路上生活者から世界王者へ
~マニー・パッキャオ 波瀾の半生(1)~
14歳で首都マニラに出稼ぎ

120年近い近代ボクシングの歴史上、6階級制覇を成し遂げたボクサーはオスカー・デラ・ホーヤ(アメリカ)とマニー・パッキャオ(フィリピン)のふたりしか存在しない。特にパッキャオの場合は、マイナー団体の戴冠も含めて10階級制覇と認定する識者もいるほどだ。そのパッキャオは11月12日(日本時間13日)、アメリカ・ラスベガスで宿敵ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)との決着戦に臨むことになっている。大一番を前に、次々と歴史を塗り替えていくフィリピンの英雄の足跡を紹介しよう。

エマヌエル・ダピドラン・パッキャオは1978年12月17日、フィリピンのミンダナオ島で6人兄弟のひとりとして生まれた。両親は農業従事者だったが、経済的には恵まれていなかったらしい。
パッキャオは12歳でボクシングを始め、14歳のときには家族に内緒で家を飛び出している。家計を助けるため首都マニラに出稼ぎに行ったのだ。しかし、都会で定職を得ることは難しく、パッキャオは路上で生活しながら肉体労働や物売りをして日々の糧を得ていたという。非公式ながらボクシングの試合に出て賞金を獲得していたのもこの頃のことだ。

アマチュア戦績は64戦60勝4敗という見事なもの。十代半ばでナショナル・チーム入りを果たしているほどだから、やはり天賦の才には恵まれていたといえよう。

プロ転向は95年1月のこと。その1ヵ月前に16歳の誕生日を迎えたばかりだった。驚くことにそのプロデビュー戦、のちの6階級制覇王者は最軽量のミニマム級を1ポンド上回るだけの106ポンド(約48.0キロ)しかなかったのである。

1年間で11連勝(4KO)を収めたが、12戦目で契約体重をオーバーしたうえ相手の左フックを浴びて3回KO負けを喫してしまった。これが最初の挫折だった。

再起後、18歳でOPBF東洋太平洋フライ級王座を獲得したパッキャオは98年5月には後楽園ホールのリングで試合をしている。

当時、日本2位にランクされていた寺尾新(八王子中屋)と対戦し179秒の間に3度倒し、強烈な印象を残したものだ。「鉄パイプで殴られたような感じで、首が肩にめり込んだかと思ったほど。ただ単にパンチが硬くて強いというだけでなく、連打もどこから来るか分からないので千手観音に殴られているような感覚だった」これは13年後の寺尾氏の回想である。

パッキャオが初の世界タイトルを獲得したのは、寺尾戦から7ヵ月後の98年12月のことだった。ユーリ・アルバチャコフ(ロシア)に勝ったことでも知られるチャッチャイ・サーサクン(タイ)にアウェーで逆転8回KO勝ちを収めたのだ。ポイントで相手に大量リードを許すなか、左フック一発で清算するという衝撃の勝利だった。


Written by ボクシングライター原功

©NAOKI FUKUDA

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