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コラム / 海外ボクシングコラムVol.36

世界チャンピオン・西岡利晃の軌跡(2)――4度の世界挑戦失敗、アキレス腱断裂…どん底を経験

2000年6月、23歳の西岡はウィラポン・ナコルアンプロモーション(タイ)の持つWBC世界バンタム級タイトルに挑戦したが、持ち味を発揮できないまま判定で敗れた。この直後、転機が訪れる。帝拳ジムへ移籍したのである。新たな環境でヘラルド・マルチネス、サミー・ベンチューラというメキシコの曲者を屠った西岡は、01年9月に再度ウィラポンに挑戦。今度は中盤に王者をダウン寸前に追い込む健闘をみせたが、引き分けという無情な結果に終わった。

決着をつけるべく翌年3月には両者の3度目の対決がセットされた。しかし、西岡はトレーニング中に左アキレス腱断裂という大ケガを負ってしまう。試合がキャンセルされただけでなく、選手生命も危ぶまれたほどのケガだった。「ショックは大きかったけれど、起こったことは仕方ない…完全に治して、それからまた頑張ろうという心境でした」と西岡は当時を回顧している。

1年3ヵ月後にラスベガスで戦線復帰を飾った西岡は03年10月、04年3月と続けて宿敵ウィラポンに挑んだが、引き分け、判定負けという結果に終わった。4度の世界挑戦で2判定負け2引き分けと、チャンピオンと同等の力量を示しながらも壁を超えることはできなかったことになる。

再びリングに戻った西岡だったが、ファンや周囲の期待は以前とは比較にならないほどに萎んでいた。そんななか若手が次から次に台頭、かつて「天才少年」と呼ばれた男を追い越し、世界の頂点を極めていった。その数は10人を超えた。西岡は夢をかなえた同輩や後輩たちを羨望の眼差しで見ているしかなかった。

「素直に『いいなぁ』とは思いましたよ。僕がなりたいと思っている世界チャンピオンになっているんですから」

そんな複雑な感情を抱く一方で、自分自身を信じてもいたという。

「まわりが世界チャンピオンになるのを見て、なおさら自分に取れないはずがないと思いました。『絶対に俺もタイトルを取る』って。『俺はこんなもんじゃない』というプライドと自信は持ち続けていました。自分で自分のことを諦めたことはないですね」

05年1月に結婚したこともプラス効果をもたらした。
「妻と子供ができたことで、僕ひとりの夢じゃなくなりましたからね。先の見えないなか、家族が精神的な支えになりました。家族がいなかったらボクシングを続けていなかったと思いますよ」

しかし、雌伏の期間は04年から08年まで4年続くことになる。

(つづく)


Written by ボクシングライター原功

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