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コラム / 海外ボクシングコラムVol.35

世界チャンピオン・西岡利晃の軌跡(1)――天才少年の挫折

日本時間の10月2日、アメリカ・ネバダ州ラスベガスのMGMグランド ホテル&カジノでWBC世界スーパー・バンタム級王者、西岡利晃(35=帝拳)の7度目の防衛戦が行われる。挑戦者はバンタム級とスーパー・バンタム級を制した実績を持つ世界的ビッグネーム、ラファエル・マルケス(36=メキシコ)だ。

「世界的なスーパーファイトが行われるボクシングの聖地でマルケスと戦えるので、いまからワクワクしている」と西岡は腕を撫している。勝てば日本人初のラスベガスでの防衛となるだけでなく、これまた日本初の2度目の海外防衛成功となる。

そんな大一番に向け、3回連続で西岡利晃の起伏に富んだ足跡を紹介しよう。

「関西にとんでもない天才少年がいる」――そんな噂が風に乗って東上したのは90年代の初頭だった。その強さ、巧さは現役の日本ランカーを寄せつけないほどだと伝えられた。

「将来の世界チャンピオン間違いなしですわ。いずれ具志堅さんの防衛記録(13度)も抜くんとちゃいまっか?」気の早い関係者は、少年の戴冠ばかりか防衛記録樹立まで予想したほどだった。

そんなスーパールーキー、西岡利晃が12戦(10勝2敗)のアマチュア経験後、プロデビューしたのは94年12月のことだった。高校3年生だった西岡は1回KO勝ちで初陣を飾っている。

ところが2戦目で手痛いプロの洗礼を受けることになる。のちの東洋太平洋チャンピオン、中村正彦(角海老宝石)の体力に押されてリズムを崩し、失点を重ねたあげく4回KO負けを喫したのである。担架でリングを降りるほどの痛烈なKOだった。

その後、エントリーした95年の西日本新人王戦は勝ち上がったものの、西部代表との対抗戦で僅差の6回判定負け。こうして1年の間にふたつの黒星が記録されてしまった。"天才少年"は20歳の誕生日を前に早々と大きな挫折を経験させられたことになる。

沖縄、神戸、姫路、大阪、横浜、高砂と試合場所を変えながら西岡は自身のボクシングを再構築していった。徐々に総合力はアップし、21歳のころには日本タイトルを視野に捉えるところまで成長していた。辰吉丈一郎、飯田覚士、越本隆志らと合同キャンプで走り込んだのもこの頃のことだ。大いに刺激を受けたはずだ。

98年12月、西岡は渡辺純一との王座決定戦を2回KOで制して日本バンタム級チャンピオンとなった。鳴り物入りのデビューから4年が経っていた。

その後、日本タイトルを2度防衛した西岡は2000年6月、ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)の持つWBC世界バンタム級タイトルに挑むチャンスをつかんだ。

(つづく)


Written by ボクシングライター原功

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