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コラム / 海外ボクシングコラムVol.127

5/2 パッキャオ対メイウェザー
★数字でみる世紀の大一番★
Part4  6階級制覇の英雄

目前に迫ってきたマニー・パッキャオ(36=フィリピン)対フロイド・メイウェザー(38=アメリカ)のドリームマッチ(日本時間5月3日、ラスベガス)。予想ではメイウェザー有利と言われるが、心情的に「パッキャオに勝ってほしい」と願うファンや関係者は多い。十代のころにフィリピンで路上生活も経験した苦労人の起伏に富んだ半生は、人々の心に訴えるものがあるのだろう。19キロもの体重の壁を越えて6階級制覇を成し遂げたサウスポーは、まもなく最強のライバルと対峙する。

パッキャオはフィリピンの貧しい農家に生まれ、家出をするようにして十代前半でマニラに出稼ぎに出た。タバコや食品を売りながら路上生活をする日々を送ったと伝えられる。

非合法のボクシング試合にも出場し、わずかの賞金を得ていた話もいまは伝説と化した。 アマチュアで64戦60勝4敗の戦績を残し、参加を誘われたナショナル・チームに断りを入れてプロデビューしたのは、16歳の誕生日を迎えた翌月のことだった。当時は50キロにも満たない体重だった。 97年に東洋太平洋フライ級王座を獲得すると、翌98年には来日して寺尾新(八王子中屋)と対戦。パッキャオは179秒の間に3度のダウンを奪ってKO勝ちを収めた。のちに寺尾は試合を振り返り、「鉄パイプで殴られたような衝撃だった」と告白している。半年後、日本にも馴染みのチャッチャイ・サーサクン(タイ)を敵地で8回KOに下し、19歳でWBC世界フライ級王座を獲得した。2度目の防衛戦を前に計量で失格、王座を失ったうえ試合でも3回TKO負けと散々だったが、3ヵ月後には一気に3階級上げて再起を果たした。

大きな転機は2001年に訪れた。アメリカに渡ったパッキャオはフレディ・ローチ・トレーナーと巡り合い、コンビを組んだ。すると代役として世界挑戦の話が舞い込んだのである。わずか2週間前、報酬は4万ドルだったがパッキャオは快諾。その試合で評価の高かったリーロ・レジャバ(南アフリカ共和国)を3度倒して6回TKO勝ちを収めたパッキャオは、これを機にアメリカで売り出していったのである。 その後の大活躍は周知のとおりだ。サウスポー・スタンスから思い切りよく飛び込み、速くて強い左を惜しげもなく繰り出してKOの山を築いていった。リッキー・ハットン(イギリス)やミゲール・コット(プエルトリコ)といった強打者を逆にパワーで捻じ伏せ、体格でふた回りも大きいオスカー・デラ・ホーヤ(アメリカ)やアントニオ・マルガリート(メキシコ)にはスピードで対抗して完封した。そうやって制覇した階級は「6」。飛び越えたクラスも含め「事実上の10階級制覇」という声もあるほどだ。出世のきっかけを与えてくれたトップランク社とは10年以上も一緒に仕事をし、ローチ・トレーナーとのコンビも14年を超えた。こうした律儀なところもパッキャオの一面といえよう。

12年にティモシー・ブラッドリー(アメリカ)に判定負け、ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)に6回KO負けと連敗を喫したが、以後は3連勝を収めて復調を印象づけている。

5年前にはフィリピンの下院議員選挙に出馬して当選。二足の草鞋を履くことになったが、自国に医療施設や学校を建設するなどこちらの活躍も顕著なものがある。

オッズは2対1でメイウェザー有利と出ているが、パッキャオのパワー、とりわけ序盤の先制攻撃が波瀾を起こす可能性も十分にある。パッキャオは「彼はすばらしいディフェンス力の持ち主だが、それを打ち破ってみせる」と自信満々だ。ローチ・トレーナーは「パッキャオはスピード、パワー、デザイアー(欲望、向上心)に優れている。特にデザイアーは特別のものがある」と愛弟子を評している。

少年時代から身についている反逆心が、この世紀の大一番でものをいうかもしれない。


Written by ボクシングライター原功

Getty Images

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