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コラム / 海外ボクシングコラムVol.124

5/2 パッキャオ対メイウェザー
★数字でみる世紀の大一番★
Part1 ドリームマッチ決定までの1922日

長い並走を経て、ついに5月2日(日本時間3日)、アメリカのネバダ州ラスベガスでマニー・パッキャオ(36=フィリピン)対フロイド・メイウェザー(38=アメリカ)のスーパーファイトが実現することになった。6階級にわたって王座を獲得したフィリピンの英雄と、47戦全勝(26KO)の天才の対決は、空前絶後のスケールのイベントになることが確実視されている。この世紀の大一番を前に、4回にわたり数字をテーマに話題を掘り下げてみよう。第1回は「スーパーファイト実現までの道程」をチェックしてみた。

このふたり、奇しくも同じ98年に初の世界王座を獲得している。10月にメイウェザーがWBCのS・フェザー級王座、その2ヵ月後にはパッキャオがWBCのフライ級王座を手中に収めているのである。このときの両者の体重差は約8キロ。アメリカとフィリピンということもあり、両者が対戦することなど誰も想像すらしなかったはずだ。

3年後の01年11月10日、両雄は同じサンフランシスコのリングに上がっている。メイウェザー対ヘスス・チャベス(メキシコ)戦の前座にIBF世界S・バンタム級王者のパッキャオが出場したのである。このときの両者の体重差は約3.6キロ。2階級の隔たりがあった。

その後、パッキャオはアメリカを拠点にしてS・フェザー級、ライト級、ウェルター級、S・ウェルター級で王座を獲得し6階級制覇を達成。メイウェザーもライト級、S・ライト級、ウェルター級、S・ウェルター級でベルトを掌中にし、5階級制覇に成功した。

そんなふたりの対戦プランが初めて具体的に報じられたのは09年12月5日のことだった。パッキャオがミゲール・コット(プエルトリコ)を痛烈な12回TKOで下してウェルター級のWBO王座を獲得した直後だった。メイウェザーはファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)を下して約2年ぶりに戦線復帰を果たしたばかりのタイミングだった。両者の試合は「10年3月、MGMグランド ガーデン・アリーナで開催」という日程まで出ていたが、メイウェザー側が強要したドーピング検査方式にパッキャオ側が難色を示して計画は頓挫。その後、何度も両者の対決は浮上しては壊れ、壊れてはプラン再浮上を繰り返してきた。ビジネス上の主導権争い、メイウェザーとプロモーターとの確執、報酬の配分などネックになる問題が解決できないまま、12年にはパッキャオがティモシー・ブラッドリー(アメリカ)に判定負け、さらにマルケスに6回KO負けを喫して両者間のパワーバランスが崩れてしまった。一方のメイウェザーは13年にHBOテレビからショータイムに移籍。この時点でふたりの対決は現実的なものから夢に変わってしまったと思われた。

ところが、こうしたバランス崩壊が吉と出たのか、昨秋から両陣営が急接近。以前は50-50の配分で譲らなかった報酬面でパッキャオ側が40%の取り分で引き下がり、ドーピング方式にも同意したため、一気にドリームマッチは決定した。メイウェザーは「1月27日のバスケット会場でパッキャオと会い、直接話をすることができたのが決め手になった」と話したが、それは最後の詰めの一手だったといえよう。 こうしてパッキャオとメイウェザーは3月11日、ロサンゼルスのノキア・シアターで揃って会見に臨むことになったのである。対戦プランが浮上してから実に1922日目のことだった。

※Part2では、両雄の報酬やチケットの値段など興行規模を中心にした話題を予定。


Written by ボクシングライター原功

マニー・パッキャオ

マニー・パッキャオ

フロイド・メイウェザー

フロイド・メイウェザー

©NAOKI FUKUDA

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