25th

WOWOW

PC版

ご加入はこちら

Excite Match エキサイトマッチ~世界プロボクシング スペシャルページ

コラム

バックナンバーを開く▼

その他

バックナンバーを開く▼

コラム / 海外ボクシングコラムVol.109

<世界のトップボクサー>
3戦で頂点を極めたサウスポーの天才
ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)I

どのジャンルにおいても不滅の記録がある。
ボクシングならば、1937年から49年にかけてヘビー級のジョー・ルイス(米)がマークした連続25度の世界王座防衛や、ウィルフレド・ベニテス(プエルトリコ)の17歳6ヵ月の最年少戴冠(76年)などが真っ先に思い浮かぶ。75年にセンサク・ムアンスリン(タイ)が樹立したプロ3戦目での世界王座獲得記録も、それらと肩を並べる驚異的なレコードといっていいだろう。この6月、そのセンサクの記録に並んだのが今回、紹介するワシル・ロマチェンコ(26=ウクライナ)だ。オリンピック連覇を成し遂げるなど、アマチュア時代から際立った活躍をみせた天才サウスポーの26年を振り返ってみよう。

ロマチェンコは1988年2月17日、ウクライナ南部、黒海に面したビルホロドドニストロフスキーという街で生まれた。世界ヘビー級王者のマイク・タイソン(米)が、初の来日を前にトレーニングに精を出しているころのことだ。アマチュアボクシングの元選手だった父親は教師をするかたわらボクシングのトレーナーも務めていた。のちに息子だけでなく12年ロンドン・オリンピックのヘビー級で金メダルを獲得するオレクサンデル・ウシク(ウクライナ)の指導にも携わっている。

ロマチェンコ家は父親だけではなく母親が体操の指導者、さらに姉も体操選手というアスリート一家だった。
そんな環境のなかで育ったロマチェンコが、スポーツ選手になったのは当然の成り行きといえよう。「何歳のときにボクシングを始めたのかは覚えていない。でも、ものすごく幼い時期だったことは間違いないよ。だって生まれてすぐに病院からジムに行ったんだから」とロマチェンコはジョークを飛ばす。

サウスポーの天才が頭角を現すのは早かった。04年にはU-17(17歳以下の大会)を制し、06年にはジュニア世界選手権フライ級で優勝。07年からはシニアの国際大会にも出場し始め、その年にアメリカのシカゴで開催された世界選手権ではフェザー級で準優勝を収めている。決勝でアルベルト・セリモフ(ロシア)に16対11のポイント負けを喫して銀メダルに甘んじたものだが、これがロマチェンコがアマチュア時代に喫した唯一の敗北といわれている(複数の敗北説もある)。ちなみにセリモフにはその後、2勝して借りは返している。

08年、北京オリンピックに出場したロマチェンコは初戦でセリモフを下すなどしてフェザー級で金メダルを獲得。09年の世界選手権では準決勝でオスカル・バルデス(メキシコ)に12対1で完勝して優勝。11年の世界選手権でも6勝して覇権を握った。12年のロンドン五輪ではフェザー級が実施対象外だったためライト級でエントリー。3回戦ではフェリックス・ベルデホ(プエルトリコ)に14対9のポイント勝ちを収め、その勢いのまま当然のように金メダルを獲得した。

オリンピック直後、ロマチェンコは世界各地のプロモーターからプロ転向を打診されたが首を縦には振らなかった。アマチュア界に留まったロマチェンコはAIBA(アマチュア国際ボクシング協会)主催のワールドシリーズ・オブ・ボクシング(WSB)に出場し、ここでも6戦して全勝を収めた。プロと同じ8オンスのグローブを使用して3分×5ラウンド制で行われるこのWSBが、ロマチェンコにとっては貴重な経験となったことはいうまでもない。


Written by ボクシングライター原功

ワシル・ロマチェンコ

ワシル・ロマチェンコ

©NAOKI FUKUDA

▲ページTOPへ