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コラム / 海外ボクシングコラムVol.108

<世界のトップボクサー>
挑戦の機会を待つ31連続KOの怪物
デオンテイ・ワイルダー(アメリカ)II

WBC世界ヘビー級1位に名を連ねるデオンテイ・ワイルダー(28=アメリカ)は、08年のプロデビュー戦から31試合、すべてを4ラウンド以内で片づけてきた。超ド級のスラッガーには年内にも世界挑戦のレールが敷かれている。そんなワイルダーだが、ボクシングを始めたのは難病の愛娘のためだった。

ワイルダーは1985年10月22日、アメリカはアラバマ州タスカルーサで生まれた。細身で長身のワイルダー少年は非凡な運動神経の持ち主で、高校時代にはアメリカン・フットボールやバスケットボールなどで特別な存在として一目置かれていた。その一方、若くして父親になっていたワイルダーは、早く確実な出世をする必要性に迫られてもいた。愛娘のネイエヤが先天的な脊髄の病気を抱えていたからだ。

それまで様々なスポーツに親しんできたワイルダーだが、19歳のときには大成を夢見てボクシングに専念することを決断した。よほど才能に恵まれたのだろう、ワイルダーはわずか14戦のキャリアで出場したアメリカのアマチュア二大イベント、全米ゴールデングローブ大会と全米選手権で優勝を飾っている。余勢を駆って出場した世界選手権は初戦で敗れたが、翌08年の北京オリンピックのアメリカ国内予選では堂々と優勝、本戦出場の切符を手に入れた。6歳でボクシングを始め、アマチュアで228戦(223勝5敗)を経験したオスカー・デラ・ホーヤ(92年バルセロナ五輪金、プロでは6階級制覇)のような例が決して少なくないアメリカでは、キャリア3年、わずか21戦でオリンピックに出場することは異例中の異例といえた。

ワイルダーは北京オリンピックではヘビー級初戦でアルジェリアの選手にポイント勝ち。モロッコ選手との準々決勝ではポイントは10対10のイーブンだったが、ジャッジから優勢勝ちを取りつけて準決勝進出を果たした。決勝進出をかけた試合では、前年の世界選手権覇者クレメンテ・ルッソ(イタリア)の前に力及ばず、6ポイント差(7対1)をつけられて敗退。しかし、この大会でアメリカのボクシングチームは惨敗、ワイルダーが獲得した銅メダルが唯一のメダルという惨憺たる結果に終わった。銅ではあったが、ワイルダーのメダルには付加価値があったのだ。

プロ転向に際しワイルダーはデラ・ホーヤ率いるゴールデンボーイ・プロモーションズ(GBP)と契約を交わした。08年11月のプロデビューに際し、ワイルダーには「ブロンズ・ボンバー」というニックネームがつけられた。同じアラバマ州出身者で「ブラウン・ボンバー(褐色の爆撃機)」と呼ばれた元世界ヘビー級V25王者ジョー・ルイスと、銅メダルを掛け合わせたニックネームである。スケール感のある異名に周囲の期待の大きさがうかがえる。

トレーナーは84年ロサンゼルス・オリンピックの金メダリストで、プロでは2階級で世界王座を獲得したマーク・ブリーランド氏が務め、マネージャーには業界で最も影響力があるといわれるアル・ヘイモン氏がついた。これ以上はないというほどのチームといえる。
これまで陣営が慎重なマッチメークに徹してきたのは、アマチュアの経験が少ないことと、ワイルダーが次代のアメリカのヘビー級シーンを背負って立つ貴重なタレントだからだ。

まだ世界上位ランカーとの対戦は経験していないが、31連続KO勝ちが強烈なアピール・ポイントになってWBCでは1位にランクされ、年内の世界挑戦が約束されている。王者のバーメイン・スティバーン(35=カナダ)も26戦24勝(21KO)1敗1分の強打者だが、ワイルダーには臆した様子はない。「スティバーンは距離をとったりカウンターを狙ったりして攪乱しようとするのだろうが、そんな小細工は俺には通用しないよ」――アメリカ生まれでアメリカ育ちの世界ヘビー級王者が途絶えて7年。大きな期待を背負うワイルダーは勝負のときを待っている。


Written by ボクシングライター原功

デオンテイ・ワイルダー

デオンテイ・ワイルダー

©NAOKI FUKUDA

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