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コラム / 海外ボクシングコラムVol.105

<世界のトップボクサー>
4階級制覇を成し遂げたカリブのパンチャー
ミゲール・コット(プエルトリコ)I

アメリカの自治領でもあるプエルトリコは、ボクシングの盛んな地域としても知られる。17歳で世界王座を獲得した神童ウィルフレド・バスケス、17連続KO防衛のウィルフレド・ゴメス、来日経験もあるウィルフレド・バスケス、そして90年代から2000年代を席巻したフェリックス・トリニダードと、世界的な名選手を挙げればきりがないほどだ。そして、ミゲール・コット(33歳)もそうした先達と伍する実績と実力を誇る名王者といえる。今回は、前出のプエルトリカン4人が果たせなかった4階級制覇を6月7日に達成したカリブのパンチャー、コットの半生を紹介しよう。

コットは80年10月29日、プエルトリコのカグアスで生まれた。フルネームはミゲール・アンヘル・コットという。父親ミゲール・アンヘルは軍人で、ふたりの兄ホセ・ミゲールとファン・ミゲールもそれぞれプロとアマチュアでボクシングを経験している。母親は主婦だったというから、平均的な家庭だったのだろう。

コットがボクシングを始めたのは11歳のときだった。その理由が変わっている。ダイエットが目的だったのである。当時のコットは体重が156ポンド(約70.6キロ)もあったのだという。ちなみに先のマルチネス戦におけるコットの計量時の体重は155ポンド(約70.3キロ)だった。
兄たちと一緒にボクシングジムに通い始めたコットは、またたく間に減量に成功した。そうするうちに、今度は競技としてのボクシングに強い関心を抱くようになったという。

100ポンド(約45キロ)までダイエットしたコットはアマチュア選手としてリングに上がり始め、のちのミニマム級&L・フライ級世界王者イバン・カルデロン(プエルトリコ)とも手合わせしている。そのときは6歳上のカルデロンが勝利を収め、その後の2戦は1勝1敗だったと伝えられる。のちに両者はナショナル・チームの同僚になる。コットは「彼(カルデロン)はベスト・フレンドのひとり」と話している。プロ転向後もカルデロンの試合にはコットが、コットの試合にはカルデロンがリングサイドで応援している姿が何度も確認されている。ちなみにコットのメリッサ・グスマン夫人は、カルデロンの元妻の従弟にあたるのだという。

97年から4年連続で国内選手権優勝を果たしたコットは、2000年のシドニー・オリンピック(L・ウェルター級)にも出場した。しかし、金メダルを獲得するモハメド・アブドゥラエフ(ウズベキスタン)と初戦であたる不運もあり、17対7のポイント負けで1回戦敗退という結果に終わった。コット自身は「ベストのパフォーマンスができたと自負しているし、自分では勝ったと思っている」と振り返っている。その宿敵とはプロ転向後に世界戦の舞台で再び拳を交えることになる。


Written by ボクシングライター原功

ミゲール・コット

ミゲール・コット

©NAOKI FUKUDA

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