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コラム / 海外ボクシングコラムVol.100

<世界のトップボクサー>
2度の挫折を乗り越えた「リングの破壊者」
レイモント・ピーターソン(アメリカ)II

04年のプロデビューから4年、1歳下の弟アンソニーとともに快進撃を続けたピーターソンは、08年にはふたり揃って世界ランキングにも名を連ねるまでに成長していた。09年4月、ピーターソンはWBO世界S・ライト級暫定王座決定戦でウィリー・ブレイン(フランス)に7回TKO勝ち、初の戴冠を果たした。

しかし、8ヵ月後の正王者ティモシー・ブラッドリー(アメリカ)との統一戦では、3回にダウンを喫したすえ大差の判定負けを喫して王座を失った。ブラッドリーとはアマチュア時代からの友人で、ふたりはしばしば連絡を取り合う間柄だったが、リングの上は非情だった。

10年はピーターソン兄弟にとって足踏みの年となった。兄はビクター・オルティス(アメリカ ※のちのWBC世界ウェルター級王者)との世界ランカー対決で引き分け、弟はブランドン・リオス(アメリカ ※のちのWBA世界ライト級王者)に7回反則負けを喫したのだ。兄は2度のダウンを奪われ、弟もダウンを喫したすえローブローの反則で失格になるという冴えない内容だった。このあとアンソニーは再起まで1年3ヵ月を要することになる。

しかし、ここからピーターソンは這い上がってみせた。11年7月の再起戦ではIBF3位のビクトル・マヌエル・カージョ(ドミニカ共和国)に12回KO勝ちを収め、世界挑戦の切符を手に入れる。その4ヵ月後、ピーターソンはアミール・カーン(イギリス)の持つWBA&IBF両王座に挑戦するチャンスを掴んだ。賭け率は10対1という大差で王者有利と出ていた。挑戦者の地元ワシントンDCに乗り込んできたほどだから、カーンには絶対の自信があったのだろう。前座で再起を果たした弟アンソニーからも力をもらったピーターソンは、初回にまたもダウンを奪われたが持ち直し、12回を戦い切った。判定は2対1に割れる際どいものだったが、二者から支持を受けたのはピーターソンだった。カーンが2度の減点を科されたことが勝負を分ける決定的なポイントになった。

ところが好事魔多し。この試合後のドーピング検査でピーターソンは陽性の判定を受け、WBAから王座を剥奪され、一定期間の出場停止処分を受けてしまう。IBFは「本人の関知しない次元でのトラブル」として王座の保持を認めたほどだから、ピーターソンに同情すべき点があったということなのだろう。

トップランク社からライバルのゴールデンボーイ・プロモーションズに移籍(12年)したピーターソンは、13年2月には元王者ケンドール・ホルト(アメリカ)に快勝したが、5月にはWBCの暫定王者ルーカス・マティセ(アルゼンチン)にノンタイトル戦で3度倒されて3回TKO負けを喫してしまう。浮いては沈み、沈んでは再浮上、そしてまた沈むという起伏に富んだボクサー人生である。

今年1月、ピーターソンは25戦全勝(17KO)の指名挑戦者ディエリー・ジャン(カナダ)を退け、またまた浮上してきた。そのコーナーには、兄弟を路上生活から救ったバリー・ハンター・トレーナーがいた。付き合いが20年になったいまでは、ハンター氏は彼らの父親のような存在になっているのだという。図らずも人生の酸いを味わってきたピーターソンだが、その本領を発揮するのはこれからといえよう。


Written by ボクシングライター原功

レイモント・ピーターソン

レイモント・ピーターソン

©NAOKI FUKUDA

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