東日本大震災から3年。再建された鉄路を辿り、復興の地へ。
海、山、大地の絶景を求め、古の人々も旅した東北には、今も年間1億人の観光客が訪れています。東日本大震災から3年。甚大な被害にあった鉄道は、現在95%が再建されました。東北を結ぶ情緒豊かな鉄路を辿り、福島、宮城、山形、岩手、青森へ。復興に取り組む被災地の姿とともに、純朴でぬくもりに満ちたその美しき日本の故郷の風景をお届けします。
PART1
会津若松〜湯野上温泉〜大内宿〜喜多方〜猪苗代〜福島
会津藩の城下町として栄え、近年は大河ドラマ「八重の桜」の舞台となり多くの観光客を集める会津若松。そのシンボルである鶴ヶ城は、戊辰戦争で新政府軍の猛攻に耐え、難攻不落と称えられた名城です。取り壊された天守閣が再建されたのは1965(昭和40)年。毎年9月には会津藩士を悼み、会津まつりが行われています。総勢600名の会津藩公行列は圧巻です。
青少年の教育に熱心だった会津藩に、藩士の子息が通う学び舎として日新館が開校したのは、1803(享和3)年のこと。藩士の男子は10歳になると日新館に入学し、中国の古典や礼式方を学び、武芸に励みました。「ならぬものはならぬ」といった会津藩の精神は、こうした教育によって教え込まれたもの。最盛期には1000人を超える生徒が集ったといいます。
戊辰戦争のおり、16〜17歳の少年たちで組織された白虎隊は、飯盛山で炎上した城を見て、敗北を覚悟し、生き恥を晒すことなく、自ら命を絶ちました。自害した若者は19名。唯一の生き残りにより語り継がれることになった忠義と悲劇の物語。飯盛山にある十九士の墓前からは、今も線香の煙が途絶えることがありません。
会津若松と会津高原尾瀬口を結ぶ会津鉄道は、大自然の風景とともに、ユニークなおもてなしが楽しめる路線です。毎日2便運行する「お座トロ展望列車会津浪漫号」は、お座敷車両とトロッコ車両と展望車両からなる3両編成の列車です。猫が駅長を務める芦ノ牧温泉駅を過ぎると、トンネルでは愉快な映像鑑賞が待っています。
日本唯一の茅葺き屋根の駅舎が出迎える湯野上温泉は、会津の奥座敷と称えられる閑静な温泉郷。囲炉裏や足湯のある駅舎でも、ほっこり心が和みます。湯量豊富な温泉は、美肌や疲労回復に抜群の効果があると評判です。大川渓谷沿いの雄大な眺めは格別で、紅葉の名所としても知られています。渓谷には塔のへつりと呼ばれる景勝地があり、吊り橋で大川の対岸に渡れば、浸食された断崖を間近にできるスリリングな散歩が楽しめます。
江戸時代には下野街道の宿場町として栄えた大内宿は、明治時代に衰退。近代化から取り残されたことが幸いして、古い家屋が残った街は現在、重要伝統的建造物群保存地区に指定され人気の観光スポットになっています。寒暖の差が激しいこの地では蕎麦が盛んに栽培され、古民家で味わう手打ち蕎麦は名物になっています。
大正や昭和の風情が漂う重厚な蔵が立ち並ぶ喜多方は、ラーメン人気との相乗効果で、年間170万人もの観光客が訪れています。福島、新潟、山形の県境にそびえる飯豊山地。その伏流水を利用して、味噌や醤油、酒の製造が盛んに行われてきました。桐細工や漆器、竹細工などの工芸品も有名です。
会津富士と呼ばれる磐梯山の裾野に、日本で4番目の広さを誇る猪苗代湖が悠々と水を湛えています。湖は水上スポーツのメッカとして知られ、遊覧船から見る眺めは見事です。磐梯高原には五色沼や桧原湖など沼や湖が点在し、ハイキングやスキーで年中楽しめるリゾート地として賑わっています。いたるところに湧く山のいで湯にも疲れが癒されます。
新潟の新津と福島の郡山を結ぶ磐越西線は、総延長約175㎞の長距離路線。1898(明治31年)の部分開業に始まり、1914(大正3)年に全線が開通しました。猪苗代に至るこの磐越西線も震災で一時不通となりましたが、2週間後には全線で運転を再開。首都圏から運ばれる救援物資は、新潟からこの磐越西線で被災地に運ばれました。
猪苗代出身の世界的な偉人といえば、野口英世です。左手に大やけどを負いながら、医者となり、黄熱病や梅毒の研究に従事した博士は、ノーベル賞候補にも3度挙げられました。生家と展示室からなる記念館には、貴重な遺品や資料が数多く残っています。
鉄道の拠点である福島駅にはJRを始め、2本のローカル線が乗り入れています。そのひとつが福島市と宮城県南部の槻木を結ぶ阿武隈急行です。総延長約55㎞。1968(昭和43)年に区間で運行を始め、1988(昭和63)年に全線が開通した阿武隈急行は、通勤や通学に欠かせない地域の足であり、県内屈指の景勝路線でもあります。東日本大震災の際も、2ヶ月後には全線で運行を開始。沿線の人たちを勇気づけました。
桜の名所として知られ、夏は水芭蕉やつつじ、秋は紅葉が美しい、自然豊かな公園です。またこの公園は、園内を走る蒸気機関車でも有名です。蒸気機関車さくら1号は福島市の蒸気機関車メーカーが、観光の呼び物として1987(昭和62)年に製造。以来、さくら1号は800mの線路の上を時速5㎞のスピードで力強く走っています。
丸森町から屋形船に乗り換え、渓谷探訪へ。江戸時代には米や木材を輸送していた阿武隈川は、かつての舟運の大動脈。約1時間のライン下りでは、絶景とともにそんな歴史も感じられます。予約をすれば船上でいも煮など、東北の素朴な料理を味わうこともできます。