詩情豊かな中欧の大自然や古都に出会う鉄道の旅。
ユーゴスラビア連邦からの独立を果たしたスロヴェニアには今、ユリアン・アルプスの絶景や中世の面影を残す古都に惹きつけられるツーリストが後を絶ちません。首都リュブリャーナからボーヒン鉄道や高速列車ICSで、伝説の湖や世界遺産の鍾乳洞、神聖ローマ帝国時代から続く古都を探訪。国交樹立から20年が経ち、ますます身近になったスロヴェニアの魅力を、たっぷりとご堪能ください。
PART1
リュブリャーナ〜ブレッド湖〜ノヴァ・ゴリツァ〜ティヴィチャ〜コーペル〜ピラン
ローマ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ハプスブルク家などに支配されながら繁栄してきた首都のシンボルが、旧市街の小高い丘に建つリュブリャーナ城です。ケーブルカーなら約1分で上ることができる城は、12世紀に創建された歴代城主の居城。建物の大半は16世紀の大地震以降に再建されたものですが、ゴシック様式の礼拝堂は1489年建造のものです。
旧市街と新市街を貫くリュブリャニツァ川には多彩な橋が架かり、古くから人々の往来を支えてきました。中世から修復を重ね両岸を結んできた石橋の両脇に、歩行者用の橋が1930年代につけられたのが三本橋(トロモストヴイエ)。竜が四隅に鎮座するのは竜の橋。その他、課税されない橋の上に多くの靴屋がひしめいたという靴屋の橋など、街の歴史は橋からもうかがうことができます。
ヨジェ・プラチニクはリュブリャーナ出身の建築家(1872〜1957)で、ウィーンやプラハで活躍した後、スロヴェニアに戻り、リュブリャーナの都市計画に参画。三本橋の設計をはじめ、スロヴェニア国立大学図書館や中央市場など、その作品は市内のあちこちで見ることができます。円柱やアーチ装飾を多用した設計は、中世の建造物と調和し、街並みに彩りを添えています。
三本橋と隣り合うプレシェーレノフ広場は、人通りが絶えないリュブリャーナの中心部。広場にはスロヴェニア国歌の歌詞を創作した国民的詩人、プレシェーレンの像が立ち、氏が思いを寄せたユリアの像と向かい合っています。そびえ立つバロック様式のフランシスコ会教会は、17世紀に建造された新市街のランドマーク。天井のフレスコ画は実に優美です。
リュブリャーナ駅から普通列車で約1時間、ユリアン・アルプス山麓に輝くブレッド湖は、“アルプスの瞳”と称えられるスロヴェニア屈指のリゾート地です。17世紀から王族や貴族から愛された氷河湖の湖畔には眺望のいいホテルが点在し、遊歩道や観光馬車が整備されています。ブレイスカ・クレムナ・レジーナというパイ生地のスイーツが名物です。
ブレッド湖を見下ろす断崖にそびえるこの古城は、11世紀に神聖ローマ帝国の皇帝が砦を築き、19世紀までカトリック司教の住まいとされた場所でした。城のテラスからは湖が一望でき、周辺から出土した石器や武具を展示する博物館も併設されています。
ブレッド湖に浮かぶ小島ブレッド島には、ロマンチックな逸話が残る、9世紀に創建された教会が建っています。渡し船で岸辺に着き、99段の階段を上るとたどり着く教会は、スロヴェニア人憧れの結婚式場。鐘楼の鐘を3回鳴らすと願いが叶うと伝えられています。17世紀にバロック様式に改装された教会は、スロヴェニアを代表する景色として絵葉書の定番になっています。
ブレッド湖の南西に位置する1周約12㎞のスロヴェニア最大の氷河湖。水の透明度が高く、静かな水面にアルプスが輝く湖は、詩人プレシェーレンなど文人たちをも魅了してきました。休暇を過ごした英国の推理作家アガサ・クリスティは、新聞記者に「ボーヒン湖は私の小説の舞台にはなりません。美しすぎるから」と話したと伝えられています。
標高2,864mのスロヴェニアの最高峰。ボーヒン湖を含め国立公園に指定されている一帯には、山々と湖が織り成すスロヴェニアらしい豊かな風景が広がっています。スロヴェニア人の誇りであるトリグラフ山に、ほとんどのスロヴェニア人が一生に1度は登るといわれています。
ユリアン・アルプスの麓を縫う、景勝路線として名高いボーヒン鉄道で次にめざすのは国境の町ノヴァ・ゴリツァ。東西冷戦により1947年来イタリア領とユーゴスラビア領に分断された町の駅構内には、ベルリンの壁と同じく「鉄のカーテン」で仕切られたこの町の歴史を物語る分断博物館があります。両国を隔てた鉄条網は2004年に撤去され、2007年からは両国間の自由な行き来が可能になっています。
6000以上の鍾乳洞を持つスロヴェニアにおいて、長さ5㎞に及ぶ、極めて保存状態がいい最大規模の洞窟が、世界遺産にも指定されるこの鍾乳洞です。氷柱のような無数の鍾乳石や石灰棚、地下に広がる大渓谷など、次々に神秘的な風景が現れる地下世界では、とてつもない歳月が刻んだ大自然の造形を満喫できます。
海岸線が40㎞に満たないスロヴェニア唯一の貿易港です。現在はオーストリアや中欧諸国も輸出入港として利用し、広くヨーロッパを支える交易都市として活況を呈しています。かつては海峡で隔たれた島で、500年以上にわたるヴェネツィア共和国の領土としての歴史を持ち、旧市街にはその残り香が漂っています。
12世紀に建てられた市民の心の拠り所。カルパッチョ作「玉座に座る聖母子像」(1516)など、内部に飾られたルネサンスやバロック時代のイタリア名画は見応えがあります。大聖堂の横に建つ、高さ54mの鐘楼の展望台からは旧市街や港を一望できます。
13世紀から500年以上、ヴェネツィア共和国の支配下にあった旧市街には、イタリアの影響を受けた足跡がいくつも残っています。チトー広場に建つこの宮殿の壁にも、ヴェネツィアのシンボルである有翼のライオンの紋章が彫られています。
イストラ半島の北部に位置し、トリエステ湾に突き出した海辺の町。古くから塩の交易で栄えた旧市街には、ヴェネツィア時代の建造物が数多く残り、張りめぐらされた石畳の小径では中世の雰囲気が満喫できます。石造りの壁とオレンジ色の屋根を持つ家々の景観は、一幅の絵のような美しさ。ピランは美食の街としても知られ、ムール貝やエビ、カサゴなど、新鮮な海の幸も存分に味わえます。
ピランが生んだ大音楽家を称える中央広場です。18世紀に活躍したジュゼッペ・タルティーニ(1692−1770)は、プラハの宮廷オーケストラの指揮者で、バロック音楽の作曲家やヴァイオリニストとしても有名。広場にはヴァイオリンと弓を持った氏の銅像がそびえ立っています。
旧市街を一望できる丘の上に建つ教会です。13世紀に創建され、17世紀にルネサンス、バロック様式を取り入れ改築。4つの鐘を持つ聖ユーリの鐘楼からは、時を告げる鐘の音が街中に響き渡ります。