左から2番目が見市さん、一番後ろがブッツさん
世界各国様々な、鉄道旅行の魅力を提案してきた『Railway Story』。テレビタレントが出演し構成する番組とは、似て非なる要素が多分にある海外取材である。特に、英語はもとより、日本語さえまともに正しく使えていないディレクターの私にとって、取材がウマクゆくかの成否は現地のコーディネーターにかかっているといっても過言ではない。今回の取材でも、多くの現地スタッフにコーディネートして頂き助けられた。
『生まれたての子馬』が初めて立ち上がる様に、ヨロヨロとたよりない言動と演出を続けるディレクターにとって、今回お世話になった現地スタッフが、どれだけ頼りがいのある素敵な人々であったかをここに記しておこう。

撮影の取材申請や興味を引く情報提供はもちろんの事、我々取材スタッフの宿泊、食事、下の世話(トイレ誘導)などを一手に引き受けるコーディネーターのお仕事。
ドイツ編で運悪く、我々スタッフのメインのお守り役をする事となったのは、見市知(みいち・とも)さんであった。『見て知っている事が市場の様に溢れている』というコーディネーターに生まれるべくして生まれた様な名前の持ち主である。ジャーナリストの家系にある彼女は、常に冷静に物事を分析し、的確に判断する。優柔不断な私にとっては、ある意味『特殊能力』の持ち主と言える。
ドイツ鉄道で、ストが始まる! とのニュースがあっても、『ドイツ人って、ものすごく几帳面なイメージを持たれているかもしれませんが、結構アバウトなんですよ』だから大丈夫だと思います「ウフ!♥」と言うような感じで物事を進めるマイペースな女性。「慌てない慌てない、一休み一休み、」と一休さんに諭される様な日々であった。7月11日、この日はバルト海近くの町を結ぶ蒸気機関車モリー鉄道の取材日であった。しかし、1日中あいにくの雨、1日5往復、便があるのだが、雨がやむのを待ち1~2便の乗車を見送った。3便目さすがに天気を諦め乗車を決意!? 出発前、見市さんには乗車して待機してもらっていた。しかしあまりの雨量に『やっぱ乗るのやめよ』とドタキャンした我々撮影スタッフであった。キュールングスボルン駅をゆっくりと出発する蒸気機関車。客車から、『皆さんどうするんですか~』と鬼の形相で叫ぶ見市さん! 『彼女でも慌てるんだー』と妙に冷静になりながらスローモーションの映像を見る様に列車を見送った。のち雨もやみ結果、番組で紹介した様に街中を路面電車の様に走るモリー鉄道の勇姿が撮影できた。
しかし、神の様に冷静な見市さんの鬼の形相を見れた事が、この日一番の収穫であった。


今回の撮影では、ドイツ政府観光局に多大な協力を頂き、各州の現地担当者にも大変お世話になった。そんな中でもブレーメンでは、強力な助っ人が登場! その名はNOBUKOさん!
ブレーメン取材日、待ち合わせ場所に到着、見市さんと駆け寄る私達への彼女の第一声は、『どの方が見市さん? あ、あなたですか? 私がNOBUKOです! では、出発しましょう!』と軽い挨拶、慌しい撮影の始まりであった。彼女NOBUKO SCHORLING さんはブレーメン在住ウン十年、この町の事は隅々まで知り尽くすブレーメンの達人である。メインコーディネーターの見市さんも知らない細かい情報と卒のない段取りは、少ない取材時間の我々にとって、非常に助かる存在であった。取材中、『オシッコ! 』と幼稚園児の様に訴えるVE小田切氏と私、二人のダメ中年の願いに対し、『はい、じゃそこのホテルの裏口を入るとすぐトイレがありますから』と、こちらの予想以上に的確な対応。また、『なんでこの建物は? なんでこの街は? なんでこの石像は? 』など、言葉を覚えたばかりの子供が親にする様な、(なんで? なんで? )のディレクター質問攻撃にも難なく対応するのであった。最後のオーダーは、ブレーメン旧市街の俯瞰撮影『じゃ、ペトリ教会に行きましょう』と即座に対応するNOBUKOさん。世界遺産の市庁舎を見下ろす聖ペトリ教会でなんなく撮影許可を頂くと、その後の彼女のスケジュールからNOBUKOさんともお別れの時、『じゃ、今後も頑張って』と見送って頂いた。我々は、狭い階段をひたすら登り展望階へ、ゼイゼイと息を上げる我々が見たものは! 細かい格子越しに広がるブレーメンの微妙な大俯瞰であった。『全然ダメジャーン! 』聞けば心無い観光客が、そこからビール瓶を投げる事件が相次ぎ、細かい格子で窓を覆ったのだとか、彼女でも知らない情報があるとは! 『NOBUKOさ~ん』と、ブレーメンの町に向かい泣き叫んだ事は言うまでも在るまい。



 
我々の最終目的地は、音楽の都ライプツィヒ。ここでは主にバッハ縁の地を撮影した。
お世話になったのはバッハ作品を研究・管理するバッハアルヒーフ財団の広報室長を務める高野昭夫さん。彼はバッハ研究の総本山とされる同財団で、初の外国人幹部となった人物である。ベルリンより高速列車ICEに乗車しライプツィヒに到着した我々は、一路待ち合わせのバッハ博物館へ、どんな厳格な人物が登場するかと身構えるスタッフの前に現れたのは『ライプツィヒへようこそ! 』とグッと握手を求める、気さくな紳士であった。日本へ有名指揮者を派遣するお仕事の最中だったらしく、撮影の同行は途切れ途切れであった。しかしながら博物館、トーマス教会、カフェ・バウムと、的確な説明の数々に順調に撮影は進んだ。迷路の様な博物館では、質問事項があると何処からとも無く現れ回答し、また執務に戻っていった。トーマス教会内部の撮影後、カフェで今後のスケジュールを見市さんと相談する時も、少し離れたテーブルから現れ、では、町の俯瞰を撮影されたらどうですか? と段取りのよい提案。忍者の様に神出鬼没な高野さん、実はこの町に何人も分身がいるのでは! と思える程の動き回り様であった。トーマス教会のコーラス撮影の打合せ、高野さんとちょっとした雑談の時間が持てた。富山県生まれの彼は、中学3年の時、クラッシックの演奏会でバッハと出会い魅了されたのだとか。大学を卒業後は、なんとトーマス教会の墓標をする代わりに牧師寮の住み込みを願いでた。3ヶ月寮で暮らし、いったん帰国してアルバイトで旅費を稼ぎ、教会に戻ると言うような生活が続いたそうだ。バッハに対する情熱は計り知れない。町のあちこちで、人々が、ハグをしてくるのも道理で頷ける。『ライプツィヒはとても愛している町なのですが、夏になると、どうしても故郷の蛍が見たくなり、富山に帰りたくなるんですよね』と言う一言に、理屈抜きに美しい物を愛する彼の人間性が伺えた。


今回のロケで、メインコーディネーター見市さんとタッグを組み、ドライバー兼サブコーディネーターとして頑張ってくれたのはオーラフ・ブッツさん。身長190cmを超える正にゲルマンの大男だ。その風貌からは、思いもつかぬ気の使い方と、日本人的思考の理解力。常に安心出来る車移動であった。日本語も日常会話は完璧。撮影アイディアの出し合いでは、『私は、○○○が良いんじゃないかな~と考えています』という、非常に柔らかな敬語が、日々のスタッフの疲れを癒してくれた。またネイティブなドイツ人にとって、ナチスとは何だったのか? 東西冷戦の象徴ベルリンとは何だったのか? など、この国を理解する上でのバックボーンもいろいろと聞き、勉強にもなった。旅の始まりフランクフルトから携帯ナビを使用。ナビゲーションシステムの定着していないヨーロッパにあって、さすがドイツ人! と褒め称えるスタッフの面々であった。しかし、ロケ3日後あたりから、ナビが不調! との事、それでも大小の地図を駆使しドイツらしい風車バックの列車撮影ポイントや、線路間際で列車撮影出来るポイントなど、様々な絶好ポイントへ導いてくれた。我々の帰国前日、オーラフさんの提案もあり、ドイツ名物アイスバインが頂けるレストランで、豪華な夕食タイムとなった。ボリューム満点の豚足煮込み料理、ビールが進む。『このリョ~リは、ドイツ人~は、冬にしか食べないんだけどナ~』とオーラフさんの『料理が来てから、今更言うなよ』発言を聞きつつの楽しい宴であった。帰りの車で携帯ナビが復活しているのを発見。故障の原因を問いかけると『バッテリーが~、切れてただけみたいデ~ス』の一言、『それ最初にチェックするでしょう! 』とスタッフ皆に同時ツッコミを入れられる、ゲルマンの大男であった。
『詳しく知ると電車の旅って楽しいですね』と言う日本人コーディネーター。列車走行シーンの為、地図と格闘し、無事撮影の時は満面の笑みでガッツポーズをとるドライバー。そして、この国に魅せられ根を降ろし、日本へとその魅力を伝える日本人関係者。今回も、様々な人々に助けられた海外取材であった。
お世話になった人々の共通項を上げるとするならば、『知識欲旺盛で、何事にも楽しさを見出す天才である事だ』番組の羅針盤であるディレクターにとって、様々な情報とアイデアを出してくれるこれらの人々は、本当に欠かせない。これまで『Railway Story』で、数々の名シーンを切りとった巨匠カメラマン木村氏の言葉が頭をよぎる『コーディネーターは、こーでねーと! 』ダジャレかよ!





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